横浜DeNA・山崎を救った三浦大輔のアドバイスとは?
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たとえ、セーブはつかなくても、最後は山崎。3人できっちりと抑え、クライマックスシリーズ ファイナルステージ、横浜DeNAが初勝利をあげました。振り返ってみれば、低迷したチームの上昇がスタートしたのは、山崎が加わってからです。亜大から2014年ドラフト1巡目で入団。ルーキーから公式戦で20セーブ以上をあげたのは、日本プロ野球史上初めて。
3年目の今季。4月13、14日の2試合で連続して救援に失敗しています。その際、ラミレス監督は、
「配置転換はしない方針」
と話していたものの、中継ぎで様子を見ることに。クローザーから、15試合はセットアッパーとしてマウンドへ立ちました。勝負の世界にスランプはつきもの。山崎は、
「スランプが来ると、自分ですぐにわかる」
と言います。
「野球はメンタルのスポーツ。スランプだと感じる時、打たれるとドキドキします。それから、腕がふれていない。ストライクゾーンがとても小さく見える」
と説明。悪循環を断ち切ることは本当に難しい。いくら明るい性格でも、そういう状況では落ち込んでしまう。救世主は、OBの三浦大輔さんでした。自身の経験を踏まえ、
「おれを見ていただろう。打たれて、打たれて、やり返せ」。
山崎は、
「すごい言葉でした。三浦さんのおかげで、不安要素がうそのように消えましたよ」
と手を合わせていました。
ラミレス監督も黙ってみていたわけではありません。他球団の外国人選手へ、
「山崎をどう思う」
とさりげなく聞いていました。ストレートとツーシームで抑える。たとえ、威力があっても
「屋外の球場では、対戦している内に、目が慣れてくる。ボールが見やすい」
という話を聞いたそう。そこで、
「もっと球種を増やせ」
とアドバイスをするようになった。中畑前監督に見いだされ、ラミレス監督に育てられた。自身のもつ記録を更新し続けることが、何よりの恩返しでしょう。
プロ野球選手を夢見たのは、同じ東京・荒川区出身で、日本ハム、横浜、西武で活躍した森本稀哲(ひちょり)さんから、サインをもらったことがきっかけです。
「プロになって、サインを書きたい」。
同じ帝京高へ進学したことも、それが縁でした。ファンへの神対応は、有名で、「ファンサービスにスランプがあってはいけない」が持論。交流戦でも、試合前の練習などで、外野席からロープなどで、色紙をつるしてくるファンへは、決まってサービスにつとめる。
「サインをしている時、その人のために一生忘れられない思い出になりますように、と5秒間、念じながら、心を込めています」。
日本シリーズ出場のためには、あと3勝。最後のイニングをビシッと締める。絶対の守護神は、大舞台に気力が充実しているようです。
10月20日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」