J1川崎・小林 1億円以上の移籍オファーを断り、川崎に残ったわけとは?

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小林悠

【サッカーJ1川崎フロンターレ対大宮アルディージャ】スタンドの声援に応える小林悠=2017年12月2日等々力陸上競技場 写真提供:産経新聞社

昨日、横浜市内で開催されたJリーグアウォーズ。MVPに輝いたのは、得点王とダブル受賞の小林でした。

「1人の力ではない。でも、キャプテンマークを巻いて先頭を走ってきたから、このような素晴らしい賞をいただけたと思う。これからも向上心をもって、サッカーに取り組んでいきたい」

得点王とのダブル受賞は史上6人目です。30歳になって開花した遅咲きのエースは、リーグ初制覇も重なり、最高のシーズンになりました。

1年前。小林の周囲は騒がしい毎日でした。神戸、ガンバ大阪、鳥栖と3チームから、相次いで移籍オファーが届きました。提示された年俸は1億円以上。心が動かないわけはありません。しかし、年俸8,000万円で3年契約を選択。残留を決めたのです。義理と人情に生きる小林の人柄がうかがえました。

拓殖大時代、中足骨骨折、前十字じん帯を断裂する大きな故障が…。1度はプロ入りをあきらめるつもりだったにもかかわらず、川崎は契約を待ってくれたのです。

「チームには、恩がある。だから、移るわけにはいきません」

と、オファーのあった3チームへ丁寧に説明。断ったのです。去る者は追わず。フロントはマネーゲームを嫌う。身の丈のチーム経営で、ここまで来たのが川崎の特性でしょうか。

昨オフは、大久保がFC東京へ移籍した。もし、小林がいなくなれば、それこそ一大事。団結力が、Jリーグナンバーワンといわれるサポーターも、必死に残留のエールを送り続けた。残留が決定した時には、川崎市内のパン屋さんからアンパンが消えたとの都市伝説が伝わっています。顔がアンパンマンに似ていることから、小林の応援歌は、アンパンマンのテーマソング。川崎のサポーターは粋な方法で、感謝を表したのです。

シーズン開幕前、自宅の扉に3枚の紙を貼った。「タイトル」、「得点王」、そして「全試合出場」。家を出る前、必ず心に刻み込みました。

「今年、変わったのは自分がゴールをあげて、勝たなければいけない。それが一番大きいと思う」

と語っています。

故障が多い小林でしたが、プロ入り8年目で念願の全試合出場を果たしました。大学時代から交際をしている直子夫人が「乗り越えよう」と、ケガをするたびに必死にサポートしてきたそうです。苦労が多かっただけに、Jリーグ屈指の人格者の評判が。

「あれほど、素晴らしい取材対応をしてくれる人はいない」

と、報道陣からも受けがいい。初対面でもすぐに打ち解けてしまう好人物。文句なしのMVP。おめでとうございます。

12月6日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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