渡部暁斗 ソチ五輪で荻原次晴が号泣したワケとは?

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いよいよ、今週金曜日から平昌オリンピックが幕を開けます。選手たちも調整に余念がありませんが、本番前にワールドカップで4連勝。絶好調ぶりをアピールし、金メダルに向かって邁進しているのが、ノルディックスキー複合の、渡部暁斗選手・29歳。

長野県・白馬村出身。2006年、白馬高校2年生の時に、トリノオリンピックに出場。その後、バンクーバー、ソチにも連続出場し、今回の平昌は、4度目の大舞台となります。

前回のソチオリンピックでは、ノルディック複合個人で、日本人選手では20年ぶりの銀メダルという快挙を達成しました。平昌で目指すは当然、自身初となる金メダルです。

「ノルディック複合」はジャンプと、距離(=クロスカントリー)の総合成績で順位を決める、地味ながら実に奥が深い競技です。

ノルディック複合の選手は、飛距離ではジャンプ専門の選手にかないません。そして、距離に関しても、クロスカントリー専門の選手にはかなわない。つまり、どちらの分野でも“頂点ではない選手”が「二つの違う能力を、バランスよく発揮する能力」を競うのが、ノルディック複合の面白さなのです。

もともと渡部選手は、長野オリンピックの船木選手、原田選手に憧れて、ジャンプの選手になるはずでした。しかし、強制的に複合もやらされ、嫌々ながらクロカンに取り組んでいるうちに、結果が出始め、複合に絞ったという経緯があります。

それで高校生の時にトリノオリンピックに出たのですから、判断は正しかったわけですが、早稲田大学卒業後、名門・北野建設に入社。荻原兄弟の後輩となります。ここで得意のジャンプに磨きをかけ、ソチで銀メダルをつかんだ渡部選手。

この快挙に、人目も憚らず号泣したのが、当時テレビ中継のキャスターを担当していた、荻原兄弟の弟・荻原次晴さんです。

その涙には理由がありました。ソチの20年前のメダルというのが、1994年のリレハンメル・オリンピック。この時、日本のノルディック勢は、団体で、荻原兄弟の兄・健司選手をはじめとするメンバーで金メダルを獲得。そして個人でも、河野孝典選手が銀メダルに輝きました。まさに絶頂期でしたが、そこで日本勢を襲ったのが「ルール変更」。

ジャンプの比重が下がり、クロスカントリーの比重が上がるという改定が行われ、「ジャンプでタイムを稼いで、距離で粘る」という日本お得意の戦術が使えなくなってしまったのです。

その影響を受け、リレハンメル以降、長い低迷期に入った日本のノルディック勢。萩原次晴さんは、兄・健司さんとともに、苦汁をずっと味わってきただけに、後輩の渡部選手が、ジャンプ・距離とも、海外の選手と堂々と渡り合って銀メダルをつかんでくれたことが、自分のことのように嬉しかったのです。

渡部選手にとって、4度目のオリンピック開幕まであとわずか。実力は、紛れもなく世界トップクラス。

「もう銀メダルは見飽きた」

と、頼もしい発言も。悲願の金メダル獲得で、また先輩を号泣させるかもしれません。

さらに、弟の善斗(よしと)選手も、同じノルディック複合で、そして、奥さんの由梨恵選手も、フリースタイルスキーで平昌に出場します。兄弟メダル、夫婦メダルもあり得るかもしれません。

渡部選手、平昌では目が離せない存在です。

2月6日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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