サッカー日本代表・中島 苦労して育ててくれた母親との約束とは?

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中島翔哉 サッカー 日本 代表 ベルギー リエージュ

【サッカー日本代表】練習に臨む中島翔哉(中央)=2018年3月19日ベルギー・リエージュ 写真提供:産経新聞社

6月に開幕するサッカー・ワールドカップロシア大会に向けて、サッカー日本代表=ハリルジャパンは、今夜、国際親善試合を戦います。ベルギーでアフリカのマリ代表と対戦するのですが、これは、日本がワールドカップ1次リーグで戦うアフリカのセネガル戦を想定した試合で、本番のメンバー選考の重要な機会にもなります。

ワールドカップまであと3か月というこのタイミングで、初めて代表に招集されたのが、中島翔哉選手・23歳です。

今シーズンから、ポルトガル1部リーグの「ポルティモネンセ」というチームでプレー、ポジションはフォワードで、ドリブルでの突破と、右足からの強烈なミドルシュートが最大の武器です。今シーズンは、23試合全てに先発出場し、9得点7アシストと大ブレーク。異国の地で結果を出したことが代表選出につながりました。

ハリルホジッチ監督は、

「ドリブラーでこれほど俊敏で爆発的なものを持っている選手は、日本になかなかいない」

と評価。その推進力でゴールに迫り、味方への決定的なパスや、自ら得点を奪うことが期待されています。

中島は、1994年生まれ、東京八王子市出身。10歳から「東京ヴェルディ」の下部組織に加入すると、その後、着実にステップアップ。2012年トップチームに昇格すると、その年、Jリーグ史上最年少となる18歳59日でハットトリックを達成、歴史に名を刻んだのです。「FC東京」「カターレ富山」を渡り歩き、去年、かねてから念願だった海外挑戦を叶え、ポルトガル1部リーグ、創設100年を超える「ポルティモネンセ」に移籍しました。

中島がフル代表に選出されたのは初めてですが、これまで世代別の代表には選ばれ続けておりまして、手倉森ジャパンでは、公式戦30試合に出場し、チーム最多の19得点と量産。リオ・オリンピックでは、背番号10を背負い、エースとして活躍しました。

将来を嘱望されてきた中で、今回フル代表に初めて選ばれ、幼い頃からの夢だった「ワールドカップ出場」まであと一歩のところまで来た中島、その夢を支え続けたのは、母親のこずえさんでした。中島翔哉の「翔哉」という名前、そこには、こずえさんの「世界に羽ばたけるように」との願いが込められています。

そんなこずえさんは、中島が6歳の時に離婚、借金を背負い、勤め先の倒産に遭いながらも働き、1人息子のためにサッカーへの投資を惜しみませんでした。6歳で地元のサッカークラブに入れ、サッカースクールを掛け持ちさせることもありました。

中島も、流行りのゲーム機を欲しがったりせず、公園で壁にボールを蹴ったり、時に、飼っていた犬を相手にドリブルの練習をしたりして、ひたすらサッカーに打ち込んだのです。母親に、

「いつか大きな家を買ってあげるね」

と約束した中島。

今回の親善試合には、ヨーロッパ各国のクラブが中島選手を目当てにスカウトを派遣しているといいます。ここで活躍し、ワールドカップ出場を果たせば、さらなるステップアップも見えてきます。自らの夢と母親への恩返しの為、中島選手がピッチでどんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。

3月23日 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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