話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、2日に引退試合を行った、J3・SC相模原の川口能活選手のエピソードを取り上げる。
「最高の終わり方ができて、僕は幸せ。選手としての役割を全うできた」
2日に、SC相模原のホーム、相模原ギオンスタジアムで行われた、今季J3最終戦の鹿児島戦。この日、ゴールマウスを守ったのが、約3カ月ぶりに先発でフル出場を果たした元日本代表GK・川口能活でした。川口は先月4日に、今季限りでの現役引退を発表。その最後の勇姿を観ようと、スタンドには、ホーム最多動員記録となる1万2,612人のファンが詰めかけました。
試合は、鹿児島の再三のシュートに、「炎の守護神」の異名を取った川口らしいファインセーブを連発し、GK冥利に尽きる1−0の完封勝利。プロ生活25年の最後を締めくくるにふさわしいゲーム内容で、有終の美を飾りましたが、試合後のセレモニーで粋な演出が。
日本代表、Jリーグでライバルとしてしのぎを削った、名古屋グランパスのGK・楢崎正剛が、サプライズゲストとして花束を持って登場したのです。しっかり抱き合い、1言2言、言葉を交わした2人。
川口によると、試合の前々日に楢崎と電話で話す機会があり「よっちゃん、あさって試合に出るの?」と訊かれたそうです。「何でそんなことを訊くんだろう?」と思ったそうですが、楢崎の登場で、すべて合点がいきました。
「僕にとって、楢崎正剛は特別な選手です。彼がいなかったら日本代表でプレーすることはできなかったですし、この年齢までプレーすることはできませんでした」
川口と楢崎は、日本が初めてW杯に出場した98年のフランス大会から、日韓大会・ドイツ大会と、日本代表の正GKの座を争って来ました。年齢は川口の方が1つ上。楢崎は、2人の関係について、
「こういう節目の大きな試合で、なぜか自分の持っているもの以上の力を出す。そういう集中力や準備が凄いなと。憧れますよね」「僕の方が年下なので、僕は追いかけるだけだった。そういう立場で本当に僕の財産になりました」。
もう1人、川口に深く感謝している人物がいます。
2010年のW杯・南アフリカ大会。日本代表の指揮を執っていた岡田武史監督は、W杯直前にようやく復帰した川口を、楢崎・川島に次ぐ「第3GK」として、代表の最終メンバーに招集。骨折以来、公式戦に1試合も出場していなかった川口の選出は大きなサプライズとなり、論議を呼びました。
大舞台で神懸かったセーブを連発、チームの危機を何度も救って来た川口の存在は、たとえ試合に出なくても、絶対にチームに必要だと岡田監督は考えていたのです。W杯直前、テストマッチで連敗し、陣形変更の賭けに打って出る前に、岡田監督は川口を呼んでこう頼みました。
「選手だけでミーティングしてもらえないか?」
川口がまとめ役となり、前向きな意見が飛びかったこのミーティングを境に、危機にあった日本代表は1つにまとまり、大方の予想を裏切って、ベスト16進出を果たしたのです。その陰には、試合に出なくても若い選手たちを励まし、積極的にアドバイスを送った川口の献身的な働きがありました。
「能活には、チームを引き締めてもらい、助けてもらった。役割を理解して、ピッチ内外で汗をかいてくれた」
引退試合後に「この感謝を、違った形で恩返ししたい」とコメントした川口。今後は、指導者としての道を歩む予定ですが、岡田氏はこう言います。
「大けがも落選も経験し、人間としても大きくなった。きっと、いい指導者になる」