麻布十番の老舗「たぬき煎餅」が新しい商品を作り続ける理由
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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
昔ながらのお店と、新しくできたお店が軒を並べる、東京・麻布十番。この地に移って60年以上、いまや街のシンボルになっている老舗が「たぬき煎餅」です。創業者が編み出した独創的な焼き方の煎餅は、当時「宮内省御用達」となりました。
きょうは、祖父が始めたお店を受け継ぎ、先代からの伝統を守りながら新しい商品も積極的に開発している、3代目社長のお話をご紹介します。とくに煎餅のネーミングにこだわる3代目。「ほほえみ狸」「狸のしっぽ」というユニークな商品名は、どんなふうに浮かんで来たのでしょうか?
入口で大きな信楽焼の狸が出迎えてくれる、麻布十番の老舗「たぬき煎餅」。平日は特別な醤油を使った「直(じき)焼き煎餅」を焼いている模様を店内で見ることができます。
「うちの煎餅は食感にこだわって、生地がダメになるギリギリ寸前で焼くんです」
1枚1枚、煎餅を手焼きしているのが、3代目社長の日永治樹さん・56歳。その焼き方は、2代目社長の父・清さんから受け継いだものですが、清さんは直接の指導は一切せず、治樹さんは父の焼き方をすべて横で見て覚えました。
「それが職人の世界ですから」
たぬき煎餅は、いまから91年前、昭和3年に治樹さんのおじいさんが東京・柳橋で創業。「たぬき煎餅」という屋号は覚えやすいという理由と、もう1つ「“他(た)”より“抜き”ん出た、優れた商品を作る」という創業者の意気込みが込められていました。
昭和10年、当時は煎餅店で唯一の「宮内省御用達」となりましたが(*【註】当時は宮内「省」)、戦時中の東京大空襲で柳橋のお店はすべて焼失。戦後、昭和30年にお店を現在の麻布十番に移し、再び復活させた2代目が、治樹さんの父・清さんです。
将来の3代目として、麻布十番で生まれ育った治樹さん。大学の経済学部を卒業後に、家業を継ごうと決意しましたが、「その前にまず、よその老舗に入って経営を勉強しよう」と、同じ菓子業界の老舗・新宿の「花園饅頭」に入社しました。
「私は販売だけやるつもりだったんですが、父が花園饅頭さんに『どうせなら、あんこ作りから仕込んでやってください』とお願いして、いきなりあんこ作りの現場に放り込まれたんです」
初めのうちは毎日、職人さんに怒られていたという治樹さん。だんだん要領を覚え、やがて職人さんから「ヒナガちゃん! きょうのあんこ、按配いいよ!」と褒められるようになりました。
「職人の世界は、味一本、腕一本でやって行く世界。いいものを作らないと認められない、そのためには努力しかないんだなと学びました」
その後、たぬき煎餅に入社。今度は煎餅作りを一から学んだ治樹さん。父・清さんはチーズサンド煎餅など、独創的な新商品を次々に生み出しました。「新しいものを作ることが会社が生きている証し」と父に教えられ、治樹さんもガーリック風味やトマトバジル味の煎餅を創作。
とくに治樹さんがこだわっているのが、「商品のネーミング」です。甘辛醤油を使った煎餅には、小学生の3男が「パパ、これおいしいね!」と笑顔で言ってくれたので、「ほほえみ狸」と命名。
また、野菜嫌いの長女に「おじいちゃん、野菜を食べられるお煎餅を作って!」と頼まれて、清さんがキンピラゴボウをイメージして作った細長い煎餅に、治樹さんは「狸のしっぽ」と名付けました。
「父が作った煎餅をじっと見ていたら、『狸のしっぽって、こんな形だっだよな』と思って。娘が発案して、父が作って、私が命名した、3代合作の煎餅です(笑)」
伝統を守ることだけでなく、「他(た)より抜きんでた、新しいものを作ること」……その他を抜く「他抜(たぬ)き」の精神が、3代続くたぬき煎餅を支えて来ました。治樹さんは言います。
「麻布十番には、新しいお店がどんどんできて、昔と街並みも変わって来ましたが、新しい血を入れることも必要です。それに対抗できる商品力があれば、老舗も十分生き残れますよ」
八木亜希子 LOVE&MELODY
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