今年のノーベル賞で改めて感じる賞の意義

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「報道部畑中デスクの独り言」(第214回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、2020年のノーベル賞発表のニュースと、ノーベル賞創設に至った経緯について---

今年のノーベル賞で改めて感じる賞の意義

ノーベル化学賞 ゲノム編集技術開発の女性2氏が受賞 J・ダウドナ氏とE・シャルパンティエ氏=2017年2月2日撮影 写真提供:産経新聞社

2020年のノーベル賞も、すべての発表が終わりました。今年は残念ながら日本人の受賞はなりませんでしたが、いろいろと考えさせられる結果でもありました。

ノーベル賞もご多分に漏れず、新型コロナウイルスの影響を受けました。毎年12月に行われる授賞式は受賞者を招待せず、簡素化した式典をインターネットなどで配信するそうです。

また、今年も有力候補として何人かの日本人の名前が挙がり、“そのとき”に備えていましたが、想定された授賞決定後の記者会見がオンラインで設定されたり、会見の参加人数が制限されるなどの対応が目立ちました。高齢者が多いこともあり、会見自体がないケースもありました。

一方、今回印象的だったのは10月7日に発表された化学賞です。授賞が決まったのは2人の女性、アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授と、ドイツのマックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ博士。

「ゲノム編集」、つまり遺伝子操作の分野で「クリスパー・キャス9」という技術が評価されました。ある特殊な酵素を細胞に注入し、遺伝情報を書き換えることができるというもので、「高校生でも扱える」と専門家から言われるほど、画期的な技術とされて来ました。

その簡便さから、農産物の品種改良への応用や、難病治療に向けた臨床研究も進んでいるということです。

8年前、2012年に開発されたこの技術、巷では生理学・医学賞か化学賞、そのいずれかをいつか受賞するのは間違いないと言われ、現地スウェーデンのメディアの予想にも頻繁に挙がっていました。なお、この技術の源流とされる現象は、日本人が発見したと言われています。

それが、大阪大学の中田篤男名誉教授、九州大学の石野良純教授ら。大腸菌から特殊な遺伝子配列を見つけ、「クリスパー・キャス9」という技術につながったとされています。これはニッポン放送「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」のなかでも、発表前の10月5日にお伝えしました。

今年のノーベル賞で改めて感じる賞の意義

ノーベル賞のメダル=2020年3月5日 写真提供:共同通信社

一方、遺伝情報の書き換えが簡単であるがゆえに課題もあります。一昨年(2018年)、中国でこの方法を使った受精卵の遺伝子情報の書き換えで、双子を産んだというケースがありました。

副作用などの検証が確立していないなか、望み通りの特徴を持つ子ども「デザイナーベビー」の誕生につながるという倫理的な問題が指摘されています。さらに、技術をめぐる特許論争が決着していないとも報じられています。

今回の授賞決定を受け、やはりノーベル賞創設に至った経緯に思い当たらないわけにはいきません。多くの人が知るところですが、創設者のアルフレッド・ノーベルは、ニトログリセリンを安全に扱えるようにしたダイナマイトを発明し、莫大な利益を得ました。

日本語で「発破をかける」という言葉がありますが、ダイナマイトは本来、土木工事を円滑に行うために開発されたもので、トンネルなどの難工事にとってはまさに福音となりました。しかし、それはやがて戦争にも用いられるようになります。日本でも日露戦争の旅順戦で、ロシアの堡塁を破壊するために使われたとされています。

ただ、ノーベルについてはアメリカの作家、ジョン・マローンが『当たった予言 外れた予言』のなかで、こんな記述をしています。

「ノーベルは、軍事力が大国間で公平に分配されれば、それは殺戮の可能性を大きく高めるため、各国はお互いの破壊に踏み切るより、永続的な平和を追求するだろうと考えていた」……つまり、ダイナマイトが軍事目的に使われることは想定しており、あくまでも抑止力としての期待があったとする説です。

ノーベルについては「死の商人」と呼ぶ者もいました。身内の死去をノーベル自身の死と誤報した新聞があり、その死亡記事の見出しが「死の商人、死す」だったことに端を発しますが、ノーベルは記事を読んで死後の評価を考えるようになり、私財の大部分を投じてノーベル賞を設立します。ノーベルの遺言によると、授賞の対象は「人類のために最大の貢献をした人々」となっています。

どんなに偉大な発明も、使い方によっては本来と異なる結果をもたらす可能性があります。偉大な発明が後世、どんな評価を下されて行くのか……今回の「クリスパー・キャス9」の授賞決定は大いなる称賛とともに、戒めの意味も込められたものではないかと改めて感じます。(了)

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