車いすバスケ 銀メダル獲得までの「20年物語」

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、東京2020パラリンピックで銀メダル獲得の快挙を成し遂げた車いすバスケットボール男子日本代表にまつわるエピソードを取り上げる。

【東京パラリンピック2020】<車いすバスケットボール男子>銀メダルを獲得した日本代表=2021年9月5日、有明アリーナ 写真提供:産経新聞社

9月5日に閉幕した東京2020パラリンピック。最終日までファンを沸かせたのが車いすバスケットボール男子です。連覇を目指す米国との決勝戦は惜しくも4点差で敗れたものの、日本代表は史上初の銀メダルを獲得しました。

最後まで王者・米国代表を苦しめた決勝戦のみならず、準々決勝では2018年・世界選手権3位の豪州に圧勝。準決勝では世界選手権王者の英国相手に粘り勝ちと、決勝に至るまでの戦いぶりも見事な内容でした。

日本代表がここまで大躍進できたのは、若手の成長や、選手個々のスキルアップももちろん背景にあります。しかし、今回の銀メダルの価値を語る上では、2000年のシドニー大会以降、20年以上かけて受け継ぎ、そして更新して来た日本代表としての縦軸の物語も見過ごせません。

今大会の代表を率いて来たのは、及川晋平監督と京谷和幸ヘッドコーチ(以下HC)の2頭体制。2人はともにシドニー大会では代表選手として名を連ねていましたが、このとき、一際熱い情熱でチームを鼓舞したのが京谷HCでした。筆者が取材・構成を担当しているニッポン放送のパラスポーツ応援番組「ニッポンチャレンジドアスリート」に出演した際、当時を振り返ってこう語っています。

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「ひとつ許せなかったのが、代表メンバーの中に、試合に負けてヘラヘラしている選手がいたんです。『これが日本代表か?』と思いました。参加することに意義があるんじゃない、結果を出さないと。意識を根本から変えていかないと日本は強くならない、というのがシドニー後に思ったことですね」

(2015年6月放送「ニッポンチャレンジドアスリート」より 京谷現HCコメント)

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そんな京谷HCと思いを同じくし、具体的な改革の指揮を担ったのが及川監督です。シドニー大会後、指導者に転身すると、ロンドン大会翌年の2013年に日本代表ヘッドコーチに就任。先々を見据えた代表強化に取り組みました。

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「まずは一番大事なこととして、4年間のプランをすることから始めました。選手たちに対しても、その4年のプランというのは見せつつ、世界でやっぱり結果を出すために何が必要なのか、ということはすごく具体的に。『緻密に』って言ってるんですけど、選手たちが漠然と『世界に勝つぞ!』みたいな気持ちだけではなくて、何と何と何をすれば、世界のレベルに届くんだっていうことを、ちゃんと見てプレーができる、あるいは練習ができる。そういうチーム作りから始めました」

(2016年8月放送「ニッポンチャレンジドアスリート」より 及川現監督コメント)

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その中心世代こそ、今大会でも主軸としてチームを牽引し、決勝でもチーム最多得点を記録した香西宏昭です。そもそも香西が車いすバスケを始めたのは、12歳のときに及川監督が指導するチームの練習に参加したからでした。

まさに、この世界に導いてくれた恩師であり、「父」のような存在である及川監督と結果を勝ち取りたいと臨んだのが前回リオ大会。6位以上という目標を掲げながら9位に終わったものの、日本は着実に前進していました。

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「勝機は確かにあったと思いました。方向性は間違っていないというのは、試合をしていて思ったんですね。それは北京やロンドンで感じたヨーロッパ勢との差と、去年のリオ・パラリンピックで感じたヨーロッパ勢との差が、確実に縮まっていることは感じたんです」

(2017年8月放送「ニッポンチャレンジドアスリート」より 香西コメント)

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さらに、リオ大会での敗退を経験したことで、香西に続く若手世代の成長を促しました。その1人が今大会で圧倒的なスピードとリバウンドを武器に大ブレイクした22歳の鳥海連志です。リオ当時、チーム最年少の17歳でありながら、そのころの心境として「不安よりもワクワク感が大きかった」と語ってくれた、まさに怖いもの知らずの新世代。そのハートの強さが今回の結果に結びついた、と言えるかも知れません。

リオ大会を経験して成長した鳥海は、2017年のU-23世界選手権で副キャプテンとしてチームを引っ張り、ベスト4進出に貢献。優秀選手に選ばれます。こうした「世界が当たり前」の世代だからこそ、今回の東京大会では大きな責任も自覚していました。大会直前、鳥海から聞いたコメントです。

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「気持ちの変化としては、まず、僕自身が結果を取りに行きたい、というのもそうですし、これまで、家族、友人、スポンサーさんが応援してくださったり、支援してくださってる、というのがあってバスケットを続けてこれたのが大きいので、僕だけの問題ではなくて、これまでお世話になった方々への感謝を込めて、メダルを取りに行きたいな、という思いは強いです」

(2021年8月放送「ニッポンチャレンジドアスリート」より 鳥海コメント)

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京谷HCの戦う姿勢が導火線となり、及川監督が明確な強化策を示し続け、2人が開拓した道をたどって香西が世界的な選手として台頭。そういった地道な努力があって、「メダルを獲る」という明確な目標を持った鳥海のような若手が出現したのです。まさに一朝一夕ではなく、日本車いすバスケ20年の歩みがあったからこそ獲れた銀メダルでした。

パラアスリートたちに話を聞くと、口を揃えて答えてくれることがあります。それは、「東京パラリンピックはゴールではなく、日本のパラスポーツの真価はここから始まる」ということです。車いすバスケも、銀メダルはあくまで通過点。3年後のパリで頂点を目指す戦いは、すでに始まっているのです。


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