JR東京駅・日本橋口からすぐ徒歩1分の好立地に、「錦鯉が泳ぐ池」が設置されたことでも話題になった大規模屋外広場「TOKYO TORCH Park(トウキョウトーチパーク)」。池には約50匹の錦鯉が泳ぎ、池の周辺には緑豊かな空間が広がり、ケヤキの木漏れ日、風を感じる美しいデッキスペースが広がるが、今回注目するのは「音」。実は、同エリアのすぐ横に首都高速が通っているが、全くと言っていいほど騒音が気にならず、美しい音楽が響いている。サウンドが耳に届くというより、空間から聞こえてきて、音が肌に溶け込むように感じるのだ。この音場のサウンドデザインを担当した、有限会社サウンドデザイン・ジャパンの田中千恵さんに、一体どんな仕掛けをしたのか話を聞いた。
東京駅前で開発が進められている新街区「TOKYO TORCH」。今年2021年、同エリアに高さ212メートルのオフィスや店舗が入るビル「TOKYO TORCH 常盤橋タワー」が開業。ビルに隣接する約7,000平方メートルの広場「TOKYO TORCH Park」内にある「錦鯉が泳ぐ池」周辺のサウンドデザインを、ラジオ局・ニッポン放送と、サウンドデザイン・ジャパンが担当している。
■「騒音」が響く屋外で音楽を流す難しさ
――今、ほんのりとクラシックの音が聞こえていますが、田中さんはどんな風にこの音と関わっているのですか?
田中:このクラシック曲自体は既存のものですが、すぐ横に首都高速があって騒音がある中でも、騒音を気にせず音楽が聞こえるように手掛けました。
――本当に驚くほど騒音が聞こえないですね。どうしてなのでしょうか?
田中:すぐ近くに首都高速があり、さらに、ビルの側面に実は大きな排気口もあって、ゴゴゴゴーという騒音が響いているんです。そんな中で、普通の音楽やBGMをそのまま流すとどうなるかというと、例えばドラムのスネアだけがシャカシャカシャカ……と聞こえたり。実際にそういう経験ありませんか?
――ああっ、あります! なぜかシャカシャカ音しか聞こえないですよね。
■騒音に大音量のBGMを乗せると、うるさくて会話ができない
田中:商業施設や飲食店でも当たり前のようにBGMが流れていますが、自分のすぐ近くにスピーカーがあって、音が大きすぎるな、会話中の相手の声が聞こえないなということがありませんか?
――あります。でも、仕方ないものなのかなと。
田中:これを何とかしよう、というのが私たちサウンドデザインの仕事です。
――なぜ一部の音しか聞こえなかったり、シャカシャカ音しか聞こえないような現象が起きるのでしょう?
田中:どうしてそうなるかというと、音楽はいろんな音の周波数、高い音とか低い音で構成されてハーモニーになっていますが、高速道路や排気口の低い音が邪魔をして、音が消されるんです。ピアノの右の鍵盤の音は聞こえるけど、左の鍵盤の音が聞こえないとか、そういうことも起こるんです。
――それで、元の音楽がきちんと聞こえないのですね。
■騒音の中で音楽を作る
田中:だから私たちは、作曲したデータを全てここで調整するんです。ここの環境に合わせて。
――そんな作業が必要なのですね!
田中:今回のプロジェクトでは、ここで1か月半作業をしていました。
――騒音の中でも聞こえるように、屋外で音を調整したのですね。
田中:だから逆に、今ここで流れている音楽を他の空間やヘッドホンで聞くと、『何だこれは!?』となります。本当に全然違うので聞いたら驚くと思いますよ。
■騒音に消された音を、聞こえるようにする難しさ
――音を完成させる工程でどんなことが、一番大変でしたか?
田中:作曲した音楽には、バイオリンやクラリネット、ハープなどいろんな音色が合わさって1つの曲になっていますが、その一つ一つの音を拾いだして紡ぎ出すと言いますか……。やっぱり自分の耳が頼りで、ものすごく耳に神経を使うので、くたびれましたね(笑)。そもそも普通に流しても聞こえない音を、聞こえるようにするわけですから。
――なるほど。聞こえない音を、すくい上げていくのですね。
田中:曲のベースに低い音をたくさん使っていることも特徴です。常に低い音の騒音がするところに、チェロやヴィオラといった低い音を乗せると、実は人は騒音を気にしなくなるんです。
――そんな風に騒音を抑えられるのですね!
田中:難しい言葉を使うと“マスキング効果”と言って弊社の井口が考えてくれたのですが、そうやって騒音を音楽で紛らわせることができるんです。
■スピーカーもすごい
――スピーカーも特別なものを使っているそうですね?
田中:そうなんです。ちなみに、どこにスピーカーがあるか分かりますか?
――ずっと探しているんですが、どこにも見当たらなくて……。
田中:(ベンチの真下を指差して――)これです(笑)
――これがスピーカーですか!? でも、よく見ると確かにスピーカーのような……。音の聞こえ方が空間全体で響いている感じなので、ベンチの下から音を流しているとは全く分かりませんね。
■スピーカーの長さは8メートル
田中:これも当社のオリジナルで作った「パイプスピーカー」(※特許取得済み)で、全長8メートルのパイプに音を流して、丸い“音穴”から音が漏れているんです。
――不思議な形です。
田中:穴の位置も一定の間隔ではなく、計算した位置に音穴を空けています。
――ということは、このパイプスピーカーも、ここの環境に合わせて作ったオーダーメイドということですか?
田中:そうなんです、スピーカーもオーダーメイドで作りました。
■音が空間を漂うように聞こえるスピーカー
――最近は素晴らしい性能のスピーカーが多くありますが、何故このスピーカーを採用したのでしょうか?
田中:パイプスピーカーを使うと、この8メートルのライン上に音が広がるんです。ですが、例えば一般的なスピーカーを使い、空間の端まで音を聞かせようとすると、大きい音を出さなくてはいけません。
――スピーカーの近くにいる人は『音がうるさい』となってしまいますね。
田中:それから、隣のエリアには飲食店さんが営業していて、お店はお店でBGM をかけているので、大きい音を出したらお店に迷惑をかけてしまいます。なので、音がこのエリアだけに漂うように、音で包み込むようにする為にこのスピーカーを使いました。
――本当に、この空間では音楽がほんのり、肌に触れるような感じで漂っていますよね。だから、こうして普通に会話ができるし、スーツを着た仕事中らしい人も音楽を気にせず、この場で電話もしていますね。
田中:こうやって話もできるように、というのも1つのコンセプトで。そして、このエリアを管轄する三菱地所さんから「騒音を気にならないようにしてほしい」とオーダーがありました。
――この空間だけ騒音が気にならなくて、本当に不思議です。
■オリジナル曲のテーマは「ケヤキ」
――あっ、サウンドが少し変わりましたかね?
田中:20分ごとになるべく変化がつくように曲のプログラムを組んでいるんです。ちょうど今、私達が作ったオリジナルサウンドが流れていますが、キラキラキラと葉っぱが風で舞い落ちていくようなイメージで作りました。
――音楽はどんなテーマで作ったのですか?
田中:年間を通してここの環境音のテーマは「ケヤキ」です。ここにあるこの大きなケヤキは、ビルが建つよりもぜんぜん昔からここにあった木なんです。三菱地所さんの話では、元々は人も来ない、工事現場の片隅みたいな所だったそうですが、このケヤキを生かす為にこういう素敵なデッキを作ったそうで。それで私達が「じゃあ、ケヤキをテーマにしましょう」と提案させていただきました。ただ、この音楽を聞いて「ケヤキだわ!」と思う方はいないと思いますが、作る側はそういうストーリーを持っていた方がいいですよね。
――このケヤキも良かったですね。今回の開発によってここの主役になってみんなに眺めてもらって、そして音楽のテーマにもなって。
■「四季」ではなく「八季」
田中:今回、オリジナルサウンドは全部で30曲ほど作って、作曲は株式会社ミュージックファクトリィの前川眞人(まえがわまさと)さんという方が手掛けています。昼と夜でベースになる音楽を変えたり、「早春」「桜の季節」「若葉の季節」「梅雨」「夏」「秋」「紅葉・落葉」「冬」と、4シーズンではなく8シーズン分の曲を用意しました。「紅葉・落葉」は12月15日まで流れ、12月16日からは「冬」をテーマにしたサウンドに切り替わります。「冬」では、ケヤキの枝が裸になってしまっているので、陽だまりを感じてもらえればなと。冷たい感じにならないようにしました。
――作曲の前川さんはどんな方なのでしょう?
田中:彼はクラシックの基本を学んだ後、作曲活動だけでなく、ラジオドラマの効果音や劇伴(ドラマの音楽)の制作もしたので、ストーリーのある構成に特徴があります。前川さんとは長らく一緒に仕事をしていて、今回のような環境に合わせたオリジナル音楽を制作する時、私がその場所がどんな所でどんな眺めで、どんな人達が集まる所かを説明します。そして、一つの物語を書くように、あるシーンを文章で書いて彼に渡します。これに前川さんがこたえて、ケヤキの芽吹きの季節に社会人デビューした主人公の気分や、夏の日差しをさけてケヤキの木陰で居眠りする心地よさ……。そんなシーンを音楽にしてくれるのです。
――音楽を聞いた人にも、そんなシーンが伝わったら素敵ですね。
田中:そうですね、なんとなく気分や心の動きを感じていただければ大成功です!
――30曲も作るのは大変だったのでは?
田中:1曲20分とかなり長い曲を作ったので、何度も前川さんとやり取りを重ね、音にしていきました。彼も大変な時間だったと思いますが、楽しんでももらえたと思っています。
■錦鯉発祥の地・新潟県小千谷市を「音」で感じる
田中:「錦鯉が泳ぐ池」にいる鯉は新潟県小千谷市から来ているので、この連携も意識しました。錦鯉が口をパクパクして泡をポコポコッ……っと出している様子をモチーフにした音楽も作って。
――小さな子が喜びそうな曲ですね。
田中:子どもが遊びに来そうな時間帯を狙い、1日に2回くらい流れるように設定しています。他にも、実際に小千谷市へ足を運んで、野鳥のさえずりを録音してサウンドに入れたり、小千谷の民謡を保存会の方々に歌っていただいて、夏の夜に流したりしました。
――民謡もCDを使わなかったのですね?
田中:はい、ちゃんと現地で録音してきました。民謡に、そこで暮らす人の営みが表れていると思って。あちらでは、1月15日ぐらいに小正月という、旧暦の正月に歌われるおめでたい民謡があるので、それも同じ時期にこのデッキスペースで流す予定です。
■いつも違う音楽が流れている
――いつ来ても違う音楽に出あえるのですね。
田中:いつも同じ音楽が流れている、というようにはならないようにしようと思って。「錦鯉が泳ぐ池」やこのデッキスペースに来る多くの人は、すぐ隣にある「TOKYO TORCH 常盤橋タワー」で働いている人です。お昼時間や休憩、仕事終わりに、ここへレギュラーで通う人達も楽しめるように工夫しています。
――たくさんの制作秘話を教えてくださって、ありがとうございました。想像以上に、この空間に拘りや想いを詰めていらっしゃって驚きました。
田中:凝り過ぎですよね(笑)
繰り返しになってしまうが、ここでは不思議なくらい騒音が気にならず、音楽がほんのり流れ、会話も普通にできる。大きなケヤキが木漏れ日を作り、池には錦鯉が悠々と泳いで、とにかく居心地がいいのだ。一通り、騒音が消えた種明かしをしてもらい感心していると、笑顔で「当社のマジックです!」と田中さん。ここに訪れる人へのメッセージを聞くと、「くつろいでいただけるなら、それに越したことはないです」と語っていた。
ニッポン放送と、サウンドデザイン・ジャパンが手掛けたオリジナルサウンドは、毎日朝7時~夜10時まで「錦鯉が泳ぐ池」周辺で聞くことができる。東京駅に寄った際はぜひ、立ち寄ってみては。