前統合幕僚長の河野克俊、慶應義塾大学教授で国際政治学者の細谷雄一が10月21日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。英トラス首相の辞任について解説した。
英トラス首相辞任で保守党が再び党首選
飯田)イギリスのトラス首相が辞任を発表しました。9月下旬に打ち出した大幅な減税策が金融市場を混乱させたと言われていますが、もともと基盤は弱かったのでしょうか?
細谷)予想通りの部分と、予想よりも早いという部分が両方あります。予想通りというのは、そもそもトラスさんが考えている政策は、この予算ではあまりにも無謀だったということです。
飯田)この予算では。
細谷)富裕層に対して大幅な減税を行い、さらには低所得者層で生活が苦しい人たちを政府が積極的に支援する。これはほとんど共産党体制とも言えるような、「政府が国民すべてを助けます」という方針です。
飯田)共産党体制のような。
細谷)ところが、トラスさんは「自分は保守主義者だ」と言っています。保守主義というのは、あくまでもマーガレット・サッチャー元首相が言うところの自助努力、つまり「苦しいときは自分たちで努力する」ということが保守主義の精神の中核だという認識の人が、イギリスには多いのです。
倒れ方が無様
細谷)トラスさんの場合、既にこの2つが矛盾しています。実行するには大規模な財政出動をしなければいけません。そうすれば、当然ながら市場の信頼を失います。本格的に危機になるのは、イギリスが寒くなる11月ぐらいからで、光熱費が上がってきたときに、どれぐらい下支えできるのか。そのときに、徐々に矛盾が出てくるのではないかと思っていました。
飯田)冬に向かう時期から。
細谷)しかし、その前に市場の信頼を失ったということと、保守党内で内紛に近い状態で、責任を押し付け合う形になってしまった。早く倒れる可能性があるとは思っていましたが、倒れ方がかっこ悪い感じがしますよね。
44日で辞任
飯田)こんなに早く終わってしまうのか、と驚きました。
河野)日本では「政権がたびたび変わる」ということが問題にされてきましたが、イギリスは割と長期政権で安定していたと思います。しかし、今回は44日ということで、極めて異例です。
飯田)そうですね。
河野)トラスさんはそれまで外務大臣でした。ウクライナに対しても協力的に支援するという立場で、ロシアを厳しく非難し、アメリカと歩調が合っていました。外交面ではしっかりされていたと思うのですが、もともと彼女は労働党なのですよね?
細谷)彼女の両親が労働党員で、学生時代はリベラルな自由民主党の学生団体に入っていました。
河野)経歴を見ると、振れているのですよね。最後は尊敬する人はサッチャーさんということになったり。揺れた方だなとは思っていました。
首相が変わってもウクライナ支援は続く
飯田)安全保障に関して、ウクライナに対する支援という意味では、ウクライナから兵隊を受け入れてトレーニングするなど、イギリスは積極的でした。この辺りが変わる可能性はありますか?
河野)次の首相が誰になるかはわかりませんが、ここはアメリカと歩調を合わせており、またイギリスは情報面でも世界にウクライナの情報をさまざま発信しています。その意味では、主導権を握っている国でもあるので、スタンスは変わらないと思います。
次期首相として可能性が高いのはスナク氏とジョンソン氏 ~どちらにしてもしこりが残る
飯田)次の政権で「ジョンソン前首相がもう1回出てくる」というような話までありますが。
細谷)8月に保守党の代表選があったとき、最後にトラスさんとリシ・スナクさんの2人が戦っていましたが、ジョンソン前首相を含めると、誰が最もいいかと言われたら圧倒的にジョンソンさんだったのです。
飯田)ジョンソン前首相が。
細谷)前回の8月も保守党議員の間、あるいは党員の間では依然としてジョンソンさんの人気がありました。言ってみれば、リシ・スナク元財務大臣が内紛で後ろからジョンソンさんを刺し、倒した形だったからです。そもそも「ジョンソンさんを引き摺り下ろす必要がなかったのではないか」という不満が強いのです。
飯田)なるほど。
細谷)いま最も可能性が高いのは、リシ・スナクさんとジョンソンさんです。リシ・スナクさんに対しては「裏切り者だ」という声もあります。ジョンソンさんは6月に保守党内での信任投票でも信任されましたし、さらには2019年12月の総選挙でも圧勝しています。「なぜそのジョンソン氏を後ろから刺して倒すのだ」という不満が、ジョンソン支持派には多いのです。
飯田)ジョンソン氏の支持者には。
細谷)一方で、既に完全に信頼は失われた。それなのに、まだ数ヵ月しか経っていない状況で「もう1回ジョンソンさんが出てくるのはおかしいのではないか」という意見が、国民の間にも保守党の間にもあります。そうすると、どちらが勝っても、かなりしこりが残る結果になるのではないでしょうか。
自分の意見をほとんど言わなかったトラス首相
河野)トラスさんが勝ったのは、ジョンソンさんを裏切らなかったということですよね。そこで支持を集めたと聞いています。
飯田)最後まで支えた忠臣であったという話も聞きます。
河野)逆に言えば、ほとんど自分の意見を言わないということです。
飯田)意見を言わない。
河野)彼女は常に強いものに従う傾向があって、キャメロン政権のときは彼女はEU残留派で、キャメロンさんと同じ判断をしていたのです。常に彼女は強いリーダーの指示に従ってきたので、自分が上に立ったことはほとんどありませんでした。
飯田)これまで。
河野)外務大臣としての方針も、ほとんどジョンソン政権の方針に従っています。彼女がもし労働党にいたら、労働党の党首に従っていたと思います。実際にリーダーになったときは、あらゆる方向から叩かれるわけなので、それに耐える精神力がなかったということが驚きです。
まとめる力がなかった
飯田)その意味では、どちらかというと投げ出したような感じなのでしょうか?
河野)投げ出した感じです。同時に保守党は「ここまでトラスさんにまとめる力がない」ということに驚いている状況です。完全に信頼を失ったのだと思います。
飯田)それもあって、支持率が直前には7%というようなことに。
河野)前代未聞ですし、在任期間44日は歴代最短ですから、本当に不名誉な、彼女にとっては屈辱的な辞任になると思います。
日英の防衛協力の流れは変わらない
飯田)さらにもう少し大きな視点で、日英関係の辺りからも考えたいのですが、日英の間では戦闘機の共同開発を調整するなど、緊密になってきていますよね。
河野)EUを離脱してから「グローバル・ブリテン」と呼ばれています。ヨーロッパではなく、世界に目を向けようということなのだと思いますが、インド太平洋においてイギリスのプレゼンスが上がってきています。
飯田)インド太平洋において。
河野)2021年には、空母クイーン・エリザベスを日本に派遣しました。戦闘機の共同開発も含めた日英防衛協力など、イギリスがアジアに興味を示してきていますので、防衛協力の機会が増えています。この流れが変わることはありません。中国に対する脅威認識も我々と共有しているところがあるので、日英防衛協力という観点からの流れは変わらないと思います。
イギリスのような国に匹敵するほどの情報組織ではない日本 ~レベルが違う
飯田)先ほどイギリスは情報面でも、という話がありましたが、その辺りでも日本と協力できることは多いのでしょうか?
河野)情報面では、「ファイブ・アイズ」という強固なものがあります。第二次世界大戦の連合国の集まりであり、そこに日本も入ってはどうかという話もあります。入ることができればいいのですが、日本の場合、スパイ防止法などはありません。イギリスのような国に匹敵するほどの情報組織として考えると、まだまだレベルが違うと思います。
飯田)イギリスと比べると。
河野)そのような方向に持っていくべきだとは思いますが、国内的にレベルアップを図らなければ、そのような枠組みには入れません。いまのところはイギリスの方が上なので、どちらかというと「対等で」という感じではないと思います。
飯田)まずはキャッチアップしていかなければならない。
河野)そう思います。
日英の安保協力は今後も進む
飯田)日英関係について、細谷さんはいかがでしょうか?
細谷)トラスさんは親日家なのですが、何か知識や経験があるというより、彼女はEUやロシア、中国を叩いて人気が出ているのです。一方で、彼女が国際貿易大臣のときに、最初にまとめた大きなFTAが日本とのFTAでした。それによって、イギリス国内で大きく評価が上がったのです。彼女からすると、日英関係を強化することで何となくうまくいっていたのです。
飯田)日英関係を強化することで。
細野)日本との交渉はうまくいきましたし、彼女のなかで日本との関係を強化することは、数少ない「いいメモリ」なのです。その意味では、彼女の政権が続いていれば、さらに日英関係は強化されたと思いますが、彼女が引っ張ったというよりは下からのボトムアップです。外務省、防衛省、国防省を中心にいままで日英の安保協力は進んできたので、この路線は続いていくと思います。
日英の防衛強化のきっかけをつくったのはメイ元首相
河野)日英の防衛関係強化という観点からいけば、ジョンソンさんの前、メイ元首相のときに大きく進んだと思います。かつて日英同盟もありましたが、メイ元首相はそのような言葉も出されていましたし、日本に来日されたとき、海上自衛隊の護衛艦まで視察されています。そのようなイギリスの首相はいままでいませんでした。ジョンソン前首相もそれを引き継がれましたが、盛り上がる出発点をつくったのはメイ元首相かなと思います。
飯田)その前のキャメロン首相は、中国にべったりという感じでしたよね。
河野)キャメロンさんのときはそれほどでもなかったですよね。
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