話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、年末年始にスポーツ界を盛り上げた高校・大学スポーツを代表する名将たちにまつわるエピソードを紹介する。
高校バスケ「ウインターカップ」に高校ラグビーの「花園」、さらに高校サッカー選手権、春高バレー。大学でも箱根駅伝、ラグビー大学選手権……今年も年末年始にかけて高校・大学の若手アスリートたちが賑わいを見せてくれた。
そのなかで、競技・カテゴリーの枠を越えて印象的だった2つの「学生スポーツ界が誇る名将の交代劇」があった。1人は、箱根駅伝を制して「大学駅伝3冠」を達成したあとに退任発表、というこれ以上ない有終の美を飾った駒澤大学の大八木弘明監督、64歳だ。
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『子どもたちが最後に本当に素晴らしいプレゼントをくれました。29年間駒澤でやってきて、オリンピック代表も世界陸上代表も出して、箱根でも勝って、4連覇して、最後に残ったのがやっぱり三冠でした。三冠をすれば、自分の中で大学の監督としてすべてやってきたような思いもあります』
~『4years.』2023年1月4日配信記事 より(大八木監督の言葉)
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そしてもう1人は、高校サッカーで昨年度(2022年)、三冠を達成した常勝軍団、青森山田高校の黒田剛総監督、52歳。今年の全国高校サッカー選手権で連覇を狙うも準々決勝で敗退。青森山田が決勝の舞台に届かなかったのは5年ぶり、というニュースとしても報じられたが、黒田監督自身に悲壮感はなかった。
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『約30年という高校サッカー生活のなかで、ひたすらもがき苦しんだ時代もあったし、またはこの6年、7年は青森山田の時代を作ることもできました。ひと言で言ったら、すごく楽しかった』
~『サッカーダイジェストweb』2023年1月4日配信記事 より(黒田総監督の言葉)
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2人に共通するのは、この退任がむしろ「未来志向」であること。駒澤・大八木監督が目指すのは「箱根路」から「世界」へと変わる。「男だろ!」「行け、白バイ、白バイ、白バイを抜け!」などランナーへの独特なゲキでファンを楽しませてきた名将らしく、次なる目標の宣言も味のある名文句だった。
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「中国の言葉で『百里の道も九十九里を半ばとする』っていう言葉があるんですけど。100回大会の前の99回で半ば、とし、新たな世界をもう一回やりたいなと思って。世界に通用する選手を育てたい」
~『スポーツ報知』2023年1月4日配信記事 より(大八木監督の言葉)
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一方、青森山田の黒田監督は高校指導者からJリーグの監督へ、という異例の転身。2023年シーズンからJ2町田ゼルビアの指揮を執ることが昨年秋の時点で決定していた。
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『教員からプロの世界に飛び込むのは勇気がいる。でも、世界にはプロ選手の経験のない名将は多く、日本代表のザッケローニ元監督もそう。プロ未経験の指導者でも頑張りによっては上でやれると示し、風穴を開けるためにもチャレンジは有効』
~『東京新聞』2022年12月9日配信記事 より(黒田総監督の言葉)
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道なき道を歩むだけでも大変にもかかわらず、1年でのJ1昇格を掲げるなど、目指すものは限りなく高い。
そして、教え子のなかから後継者をしっかり用意し、次世代にも「強豪」としての伝統が続くよう、何年も前から準備を重ねた上での勇退であることも2人の共通点だ。駒澤大は元マラソン日本記録保持者の藤田敦史をヘッドコーチとして招聘。藤田は大八木監督が駒澤大のコーチに就任した1995年4月に入学した、まさに「大八木1期生」とも言うべき存在だ。
一方の青森山田は、昨年秋の時点で正木昌宣コーチを「監督」に昇格。最後の選手権の指揮も基本的には正木新監督に任せていた。青森山田での選手時代は黒田監督のもとでキャプテンを務め、2004年からはコーチとして20年近く黒田監督を支えてきた人物だ。1月4日、準々決勝で青森山田が敗れた際には、黒田総監督からのこんなエールもあった。
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『正木(昌宣)新監督としてはほろ苦い船出になったと思いますけど、この経験が次の青森山田、もっと強い青森山田を作っていくには良いスタートになったと思う』
~『サッカーダイジェストweb』2023年1月4日配信記事 より(黒田総監督の言葉)
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実は、こうした「強豪校の伝統継承」「教え子からの監督抜擢」で、この冬の戦いで見事に成功を収めた先行事例がある。1月8日、大学ラグビー選手権で連覇を達成した帝京大学ラグビー部だ。
2009年から大学選手権9連覇という黄金期を牽引した名将・岩出雅之前監督は、ちょうど1年前、大学ラグビー選手権で10度目の優勝を遂げた直後に退任を発表。後任として1996年の「岩出体制1年目」に帝京大に入学したOBで元日本代表プロップの相馬朋和をコーチとして呼び寄せ、帝王学を学ばせていたのだ。
その「相馬新体制」で臨んだ今季、「大学選手権決勝の最多得点、最多トライ、最多得点差」という圧倒的な強さでの大学日本一を達成したのだから、見事としか言いようがない。その快挙の根底には、帝京ラグビーの伝統を『守り、つなぐ』ことをモットーに掲げてきた相馬監督の強い使命感があったはずだ。
選手が3年~4年で入れ替わる高校・大学スポーツにおいて、「常勝」を続けることは並大抵のことではない。その難しいチャレンジに挑んできた「伝統校」「強豪校」の存在が日本のスポーツを支えてきた側面は間違いなくある。令和の時代になってもそうした「新しい伝統」が生まれ続けていることを再確認できた年末年始だった。