石原慎太郎さん一周忌 取材に寄り添った1台のパソコン

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「報道部畑中デスクの独り言」(第317回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、石原慎太郎さんの一周忌について---

一周忌を迎えた故・石原慎太郎さん(2022年6月9日 お別れの会で)

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芥川賞作家で東京都知事、運輸相、環境庁長官を歴任した石原慎太郎さんが昨年(2022年)2月1日に亡くなってから、はや1年となりました。この日、三男の石原宏高衆議院議員は衆議院予算委員会で質問に立ち、慎太郎さんが注力していた環境問題などを質しました。

質問を終えて宏高さんはニッポン放送の取材に応じ、「一周忌に質問に立たせてもらってよかった。これも御縁」と振り返った上で、父親・慎太郎さんについて「本当に豪快な政治家だった。なかなかあの領域には到達できないが、背中を追いかけていく存在だ」と語りました。

ここに1台のパソコンがあります。私が1998年暮れに初めて購入したもので、パナソニック(当時は松下電器産業)のレッツノートS22という機種です。最大の特徴はポインティングデバイスに当時、トラックボールが採用されていたこと。マウスを裏返しにした形のトラックボールは人間工学的にも理に適っており、いまもって、最も使いやすいポインティングデバイスだと思います。

ただ、成立させるにはどうしても厚みが必要なため、レッツノートでは廃止され、円形のホイールパッドなどに置き換わっています。

都庁担当時代に使い倒したパソコン

都庁担当時代に使い倒したパソコン

私は以前、小欄でお伝えした通り、石原都政を取材し、記者としての「青春時代」を過ごしました。都庁担当のときは、このトラックボールをコロコロ回しながら作業していました。パソコンを買ったばかりということで興味津々、いろいろと試していたわけです。

当時、毎週金曜日午後3時に開かれていた石原知事の定例記者会見も、終了後、「メモ起こし」と呼ばれる取材メモ作成を夜遅くまでこのパソコンでしていました。それも知事発言だけでなく、記者の質問も一言一句、細かく書き留めていました。

当時は音声認識ソフトというような便利なアイテムはありません。ICレコーダーも、電話のような音質の音声しか録れないものがようやく出たころ。放送に耐える録音機として使っていたのは、もっぱらMDレコーダーでした。

MD=ミニディスク、いまはすっかり見かけなくなりましたが、面積にしてCD=コンパクトディスクの4分の1ほどの大きさのディスクが、カートリッジに収められていました。当時は取材用の録音機もずいぶん小さくなったと驚いた記憶があります。

レッツノート 当時はトラックボールが採用されていた

レッツノート 当時はトラックボールが採用されていた

取材メモ作成は、そのMDをチマチマと再生しては巻き戻す大変地味な作業でしたが、そうしてパソコンに保存した当時のデータは、20年以上経ったいまも残っていました。昨年暮れに上梓した拙著『憎まれて死ぬか 愛されて死ぬか 政治家 石原慎太郎の日々』は、この書き溜めていた取材メモが大いに役立ったのです。

ノートパソコンを使い始めてから四半世紀が経ち、“初号機”を含めて現在で6台目。いまは原稿作成だけでなく、ICレコーダーで収録した取材音声を編集して本社に送信したり、撮影した画像をWebコラムに活用したりと、使い道は飛躍的に広がりましたが、初号機にはいまも思い入れがあります。当時のストレージ(データ記憶装置)の容量はわずか4.3GB。現在のパソコンの容量とは2ケタ違いますが、これでも当時の仕事仲間からは「一生使えるよ」と言われたものです。

石原慎太郎さんの一周忌にあたり、都庁担当時代に寄り添ってくれたパソコンのことを思い出しました。いまも部屋の片隅に眠っています。物持ちがいいというと聞こえはいいですが、なかなか物が捨てられないのが私の悪いところ。こんな“思い出の品”のおかげで、部屋はどんどん手狭になっていきます。「思い出の品を捨てる前に、あなたが捨てられますよ」と言われないようにしなければ……。(了)

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