黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(9月22日放送)に美術家の横尾忠則が出演。東京国立博物館 表慶館 『横尾忠則 寒山百得』展について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。9月18日(月)~9月22日(金)のゲストは美術家の横尾忠則。5日目は寒山拾得から受けたメッセージについて--
黒木)東京国立博物館表慶館で、『横尾忠則 寒山百得』展が12月3日まで開催されております。自由人であった僧侶の方の絵を102点描かれたということですね。百面相のように見る方にとって、さまざまな問いを投げかけてくれるのですか?
横尾)百面相などとありますが、考えやそのような計画ではなく、気分ですね。その日の気分です。
黒木)それが自分を解放させてあげられることにもつながっていくのですよね。
横尾)みんな気分で生きていないと思うのです。いろいろな目的や制約を受けて、それに従って生きている。そこに気分を持ち込むと、たぶん相手との間にいろいろな問題を起こしますよね。それを無視して、「ただ気分で生きていく」というのが、この寒山拾得の2人の生き方だと思うのです。
黒木)気分で生きていく。
横尾)だから絵も気分で描こうと。そうすると、「様式のない人間なのだ」ということがだんだんとわかってきたのです。みんな表現するときに自分のスタイルを持ちますよね。そのスタイルを自分のアイデンティティとして世間に認めさせようとします。ところが、認められるということを拒否した場合は、気分で生きていくことができるのです。そのことが、寒山拾得が私に伝えてきたメッセージなのではないかと思うのです。
黒木)他にも、「ご自分の知らない自分を見てみたい」とおっしゃっていますが、それが1つの自由人というか、何にも縛られない生き方なのでしょうか?
横尾)社会は、目に見えるものや理解できるものしか評価しませんよね。「目に見えないものを評価する生き方」を寒山拾得は実践していたと思うのです。
黒木)そのなかから、「本当の自分は何なのだろう」ということを考えさせられていくのですね。
横尾)そうだと思います。「本当の自分を追及することさえも、捨てた方が生きやすいよ」と、寒山拾得は言っているのではないでしょうか。
黒木)奥にもまだあるのですね。
横尾)この2人は私に伝えたような気がします。「百得」じゃないよ、「一万得」かも知れない、「百万得」かもわからないと。そのくらい先が見えない。それが人生なのではないかなと。それを寒山が、「俺たちを見なさいよ」というように言ってきたような気がするのですよね。
黒木)横尾さんは禅を学ばれましたよね。そのときに存在を知られたのですか?
横尾)寒山拾得の存在を知ったのはもっとあとです。だから私がかつて禅をしたことと、寒山拾得が禅僧だったということには多少のつながりはありますが、もう桁違いですよ。私のした禅は子どもみたいなものです。
黒木)そのときはわからなかったけれども、「あとになって思い返すと、あのときの禅の学びがよかったのだ」と書いていらっしゃいましたね。
横尾)ありますね。私たちは常に何かに問いかけたり答えを求めたり、意味を探し出したりします。禅は、意味など考えるなと。目的も考えるな。いま何をしているかということさえも考えるな。「すべて、考えないことを考えなさい」と。
黒木)深いですね。「どうして花が咲いているの?」「咲いているからよ」と。そのような教えですね。
横尾)だから私も、考えないことを考えた結果、描いた絵がこんな絵になってしまったのです。1点1点関連性が全然ないのです。
横尾忠則(よこお・ただのり)/ 美術家
■1936年・兵庫県生まれ。
■1956年より神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、1959年に独立。
■唐十郎、寺山修司、土方巽といった舞台芸術のポスターなどを数多く手がけ、1969年にパリ青年ビエンナーレ版画部門大賞を受賞。1972年にはニューヨーク近代美術館で個展を開催。
■1980年7月にニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、「画家宣言」を発表。以降、画家としてニュー・ペインティングととらえられる具象的な作品を制作。洞窟や滝といった自然風景から、街中の「Y字路」を描いたシリーズ、俳優、ミュージシャンといったスターたちの肖像画まで、多様な作品を手がけることでも知られている。
■東京国立博物館では非常に稀な現代アート展となる「横尾忠則 寒山百得」展を9月12日から12月3日まで開催。寒山拾得をテーマにこの1年で描き上げた102点を一挙に初公開する。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳