黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(9月18日放送)に美術家の横尾忠則が出演。東京国立博物館 表慶館 『横尾忠則 寒山百得』展について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。9月18日(月)~9月22日(金)のゲストは美術家の横尾忠則。1日目は、「寒山拾得」について---
黒木)横尾さんは、朝は得意でいらっしゃいますか?
横尾)6時くらいに起きますね。
黒木)何時くらいにお休みになるのですか?
横尾)9時半くらいですね。
黒木)しっかり睡眠は取られるのですね。何時ごろから創作に入られるのですか?
横尾)9時くらいですね。
黒木)9時くらいからずっと1日中されているのですか?
横尾)夕方までしますね。
黒木)集中力がおありですね。
横尾)ほとんど絵を描いていないですよ。
黒木)えっ? そうなんですか?
横尾)ソファーに寝転がってぼんやりしていたり、そんなに絵は描いていません。
黒木)9月12日から東京国立博物館の表慶館で『横尾忠則 寒山百得』展を開催されております。102点ということですが……。
横尾)ちょうど1年と1~2ヵ月くらいで100点を描きました。寒山拾得という人の名前があるのですが、「拾」という、せっかく数字が名前のなかに入っているのだったら、「百」にして、できれば100点描いたらどうかなと思ったのです。
黒木)なるほど。
横尾)軽く考えて始めたのですが、それが大変でした。
黒木)1年と少しで102点ということなのですが、そんなに描くことができるものですか?
横尾)初めてです。いままで、たくさん描いた年でも30点くらいですよね。それでも「多いぐらいだ」とよく人に言われましたが、今度は100点ということで、自分に負荷を掛けてしまったのです。
黒木)寒山拾得という人物について教えていただけますか?
横尾)この方は中国の禅僧です。いつもボロ布のような着物を着て、手に巻物を持っている人と箒を持っている人、その2人がいるのです。いつも不気味な笑みを浮かべて、何をしているのかよくわからない風来坊のような方ですが、生き方がものすごく自由なのです。
黒木)生き方が。
横尾)「何でもあり」と言うのでしょうか、自由を越えてしまったくらいの「自由な生き方」をしたお坊さんです。
黒木)僧侶なのに自由な生き方をなさったというのは、やはり禅と関係があるのですか?
横尾)関係あるのでしょうね。むしろ禅僧ですから若いころは座禅をしていたと思います。あとは何をした人なのかよくわかりません。現存していた人かどうかも、怪しいですね。
黒木)そうなのですね。
横尾)そういう「理念」なのではないかと思うのです。
黒木)負荷を掛けてまで「寒山拾得シリーズ」を描こうと思われたのは、どのような理由があったのですか?
横尾)そういう人だからです。できれば「アーティストはそうありたい」という、アーティストにとっては理想像なのです。だから「自分のなかにある寒山拾得を引き出せないかな」と思って始めたのです。
黒木)ご自分のなかにある「自由さ」のようなもの……。
横尾)それを普段、封印しているかも知れません。しかし、寒山拾得を取り入れることによって、「眠っている寒山拾得を目覚めさせられないか」と思いました。絵を描くことによって少しでもその世界に近付けばいいなと思いました。
黒木)ご自分を解放するという意味でもあるのですね。
横尾)極限まで自由人です。普通の自由人ではないのです。
横尾忠則(よこお・ただのり)/ 美術家
■1936年・兵庫県生まれ。
■1956年より神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、1959年に独立。
■唐十郎、寺山修司、土方巽といった舞台芸術のポスターなどを数多く手がけ、1969年にパリ青年ビエンナーレ版画部門大賞を受賞。1972年にはニューヨーク近代美術館で個展を開催。
■1980年7月にニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、「画家宣言」を発表。以降、画家としてニュー・ペインティングととらえられる具象的な作品を制作。洞窟や滝といった自然風景から、街中の「Y字路」を描いたシリーズ、俳優、ミュージシャンといったスターたちの肖像画まで、多様な作品を手がけることでも知られている。
■東京国立博物館では非常に稀な現代アート展となる「横尾忠則 寒山百得」展を9月12日から12月3日まで開催。寒山拾得をテーマにこの1年で描き上げた102点を一挙に初公開する。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳