MoMA「ピカソ展」で強い啓示を受け、グラフィックから絵画に 横尾忠則

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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(9月20日放送)に美術家の横尾忠則が出演。東京国立博物館 表慶館 『横尾忠則 寒山百得』展について語った。

横尾忠則現代美術館内覧会・開館式典で挨拶を述べる横尾忠則さん =2012年11月02日午後、神戸市東灘区 写真提供:産経新聞社

横尾忠則現代美術館内覧会・開館式典で挨拶を述べる横尾忠則さん =2012年11月02日午後、神戸市東灘区 写真提供:産経新聞社

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。9月18日(月)~9月22日(金)のゲストは美術家の横尾忠則。3日目は、ニューヨーク近代美術館「ピカソ展」で受けた啓示について---

黒木)60年代~70年代、横尾さんはグラフィックの世界では「寵児」と言われました。素晴らしい作品を残されてきましたが、1980年7月にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された「ピカソ展」に衝撃を受けて、画家宣言をなさったということですね。

横尾)ピカソの作品に衝撃を受けたわけではないのです。突然、自分のなかに、言葉にはできない啓示のようなものを受けたのです。「君がやっているグラフィックはもう終わった。もうやる必要はない。これからは美術をやりなさい」という、言葉にすると簡単ですが、このような衝撃を受けたわけです。それは、抵抗したり、逃れることができないくらいの強いものでした。

黒木)それは大事なことなのですよね。

横尾)人生のなかで、大きいこと、小さいことは別として、そのようなことは常に出会っていると思うのです。

黒木)人生のなかで。

横尾)私の場合は、職業として、「グラフィックが天性だ」と思っている真っ最中に、しかも非常に調子のいい時期に、突然、それを捨てさせられるという、何の力が働いていたのかわかりません。

黒木)ニューヨークから戻られて、すぐに画家として活動を始められたのですね。

横尾)日本に戻ったら、その足でギャラリーへ飛び込んで行って、「グラフィックをやめます。絵をやりたいので、展覧会をしてくれますか?」と。絵を1点も描いていないのに、よくそんなに厚かましい話をギャラリーへ持っていったなと思っています。なぜそんなことを言ったのかわかりません。普通の理性では考えられないことばかりしているなと思いますね。

黒木)その初個展は、どのようなものだったのですか?

横尾)油絵です。大きな絵を描きました。いきなり4つの公立美術館がそれを買い上げてくれました。驚きましたね。生まれて初めて描いた大きな絵ですが、あのときに公立美術館が買い上げてくれなければ、私はそこで挫折して、もう絵はやめるとなったかも知れません。でも、そういう意思さえも、封印される力が働いていたのです。

横尾忠則

横尾忠則

黒木)グラフィックデザイナーと美術家は、まったく別ものなのですね。

横尾)別です。客観的に見れば似ているように思いますが、まったく違います。水と油くらいの違いがあります。

黒木)その大きな違いは、どのようなものでしょうか?

横尾)グラフィックをお仕事だとすると、美術は生き方や人生とか、そのようなことになるのではないかと思います。

黒木)やはり、ご自分を解放してあげる、自由人になるということでしょうか?

横尾)そんなことさえも考えていませんでした。

黒木)それはあとからついてくる説明なのですね。

横尾)あとからですね。なぜこのような状況に自分が置かれているのかがわからないのです。自分に問いただしてみてもわからない。人にそんな話も聞けません。どうしてなのかわかならない、わからないけれど、こうなってしまった。

黒木)わからないけれど。

横尾)「運命と考えて、それに従うしかない」という感じです。これからは全部、運命に任せてしまおう、自分の意思はどうでもいい、運命の意思に任せた方が楽ではないかと考えました。子どものころからそのような考え方はありましたが。

黒木)横尾さんからそのような言葉をいただくと励みになりますね。

横尾)でも成功が約束されていませんからね。

黒木)成功しなくてもいいのでしょう?

横尾)グラフィックの方は成功が約束されていたような気がしたのですが、絵画に関してはまったくそういう約束がされていないのです。非常に無責任な運命だなと思いました。

黒木)そのお陰で私たちは、多くの横尾作品を堪能できるのですよね。

横尾忠則(よこお・ただのり)

横尾忠則(よこお・ただのり)

横尾忠則(よこお・ただのり)/ 美術家

■1936年・兵庫県生まれ。
■1956年より神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、1959年に独立。
■唐十郎、寺山修司、土方巽といった舞台芸術のポスターなどを数多く手がけ、1969年にパリ青年ビエンナーレ版画部門大賞を受賞。1972年にはニューヨーク近代美術館で個展を開催。
■1980年7月にニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、「画家宣言」を発表。以降、画家としてニュー・ペインティングととらえられる具象的な作品を制作。洞窟や滝といった自然風景から、街中の「Y字路」を描いたシリーズ、俳優、ミュージシャンといったスターたちの肖像画まで、多様な作品を手がけることでも知られている。
■東京国立博物館では非常に稀な現代アート展となる「横尾忠則 寒山百得」展を9月12日から12月3日まで開催。寒山拾得をテーマにこの1年で描き上げた102点を一挙に初公開する。

 

番組情報

黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

番組HP

毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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