それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
平成の新しい元号が発表された昭和最後の日から、間もなく35年となります。当時は竹下内閣で、総理大臣は島根県出身の竹下登さんでした。
竹下元総理のご実家といえば、造り酒屋の竹下本店。元総理が命名した「出雲誉(いずもほまれ)」というお酒が有名で、最近は孫のDAIGOさんをあしらったラベルも人気を集めていました。しかし後継者がおらず、2022年に150年あまり続いた酒造事業を譲渡しました。
酒造りを受け継いだのは、同じ島根県の「田部グループ」です。室町時代から奥出雲のたたら製鉄を手掛けてきた田部家は、酒造りも行っていましたが、幕末の1866年、庄屋の竹下家へ醸造権を譲ったのが、実は竹下本店の始まりでした。令和になり、酒造りなどの免許は竹下家から田部家へ返還されることになったのです。
新たに設立された「田部竹下酒造」のトップを務めることになったのは、大野幸三さん。1957年生まれ、出雲市出身の66歳。大野さんは東京農大の造園学科を卒業後、田部グループの建設部門で、小泉八雲の旧居前広場や島根県立美術館の庭園などを手掛けてきました。
土木ひと筋だった大野さんだけに、現場でいっぱい汗をかいて家に帰ると、ビールで「プハーッ!」と晩酌するのが日課でした。そんな大野さんは2022年秋、蔵元を務めることになった田部家の第25代当主から会社の応接室に呼び出され、こう告げられます。
「大野さん、新しい酒造会社の社長を頼むよ。正月に新しいお酒を呑みたいね」
これまで建設畑を歩み、大のビール党でもあった大野さんにとっては、青天の霹靂でした。とはいえ、大野さんは醸造学科のある農大出身。「学生時代の人脈もフルに活かして、頑張るしかない!」……大野さんは65歳にして、全くゼロから「酒造り」に挑むことになります。
「田部竹下酒造」は田部蔵元、大野社長に旧竹下本店から受け継いだ蔵人(くらびと)が2人いましたが、皆さん酒造りに関しては、ほぼ素人だったそうです。そこで、北九州市出身であり、岡山や名古屋の酒蔵で10年近く修業を積んでいた気鋭の若手・濱崎良太さんを杜氏として迎えます。
杜氏・蔵元・社長の3人で、島根県雲南市掛合町にある旧・竹下本店の酒蔵を訪ねると、一同びっくり! 機械は残されていたものの、古いものが多く、すぐに酒造りはできない状況でした。
「果たして正月までにお酒ができるのだろうか?」
不安がよぎりますが、残された時間は約2ヵ月、迷っている暇はありません。修理できる機械は直し、直すことが難しい機械は、使えるものと入れ替えていきました。一方、蔵元からは「まず杜氏の造りたいお酒を形にしてみてください」と託され、新しいお酒のコンセプトは「フルーティーで抜群にフレッシュなお酒」に決まります。
濱崎杜氏は、気温や湿度などを細かくチェックしながら酒造りに反映させていきました。最初は和気あいあいとしていた杜氏も、仕込みが進むにつれ厳しい表情になっていきます。そんな杜氏の姿と、発酵と共に「ぷくっ、ぷくっ」と違った大きさの泡が湧き出してくる日本酒の“息遣い”に感銘を受けた大野さんは、杜氏を必死で支えました。
そして、2022年12月24日、ついに新しいお酒が出来上がります。大野社長が届けた一番酒を、さっそく蔵元がゴクリとやると……「これはイケる!」。蔵元の満面の笑みに、大野さんたちも肩の荷が下りてホッとした笑顔が広がりました。
「試験醸造」と銘打たれて世に出たこのお酒は、さっそく高い評価を受けます。「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」プレミアム純米部門で最高金賞に輝きました。大野社長自ら、東京・日比谷にある島根県のアンテナショップに立って試飲・直売会を開くと、特に女性から「香りがよくて飲みやすい」と好意的な声が多く聞こえてきました。
去年(2023年)の年末、「田部竹下酒造」から今シーズンの新酒「理八(りはち)」が出荷されました。理八の名は、かつて酒造りを引き受けてくれた竹下家の当主にちなんだものです。奇しくも、平成元年に生まれた濱崎杜氏と一緒に酒造りに携わって1年あまり。大野さんはこう話します。
「酒造りは職人気質な杜氏さんが1人でやるものだと思っていましたが、チームワークがないと美味しいお酒はできないことがわかってきました」
すっかりビール党から日本酒党になった大野さんは、酔って楽しむ酒ではなく、「味わって楽しむ酒」を日本から世界へ広めたいと意気込んでいます。
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