ジャーナリストの佐々木俊尚が1月17日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。発生から29年が経過した阪神・淡路大震災について解説した。
阪神・淡路大震災から29年
2024年1月17日で、1995年に発生した阪神・淡路大震災から29年を迎えた。地震が発生した午前5時46分に合わせ、兵庫県内各地では黙とうや祈りが捧げられた。阪神・淡路大震災では住宅の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の避難生活などで命を落とす「災害関連死」も含めると、6434人が亡くなった。
飯田)神戸市中央区の東遊園地では「1.17」という文字の形に灯籠が並べられ、火が灯されたということです。
佐々木)29年なのですね。当時、私は毎日新聞の東京社会部の記者で、翌日の1月18日朝から現地に行けと言われて行きました。
同じ震災でも現場の状況で被害のあり方が違う
佐々木)東京から10時間ぐらい掛けて、神戸の隣の芦屋市に向かいました。阪神高速が倒壊して大騒ぎになったところです。今回の能登半島地震では、輪島で横倒しになっていたビルの映像が衝撃的でしたが、ああいう感じのものは少なく、6階建てのマンションの一部フロアだけが上から潰されてぺちゃんこになっているのです。そこから遺体を搬出する様子を延々と取材しました。
飯田)1階部分などが。
佐々木)1923年の関東大震災のときは木造家屋だらけで、圧倒的に焼死が多かったのです。有名な深川の被服廠跡では、数万人が焼け死んでいます。それに対して、阪神・淡路大震災では圧死が多かった。発生直後ぐらいに皆さん亡くなられているという感じです。また、東日本大震災は津波の被害が大きく、溺死が多かった。同じ震災でも、現場の状況で被害のあり方が違うのです。
「プッシュ型支援」もなく、自衛隊の派遣が大幅に遅れた阪神・淡路大震災
佐々木)そもそも「震災」という言葉に馴染みがありませんでした。阪神・淡路大震災が起きる前までは、関東大震災(1923年)のイメージが強く、「そんな言葉がこの世にもう1度出てくる」などとは夢にも思っていませんでした。「阪神・淡路大震災」という言葉ができて、「そうか、震災なんだ」と意識された。
飯田)そうですね。
佐々木)太平洋戦争直後ぐらいまでは、東南海地震や福井地震など、地震はかなり起きていました。でも1960年代くらいから90年代前半までは、奥尻島など、地方では地震がありましたが、都心部や大規模に広い地域などでは大地震はあまり起きていなかったのです。また、20世紀半ばは水害も少なかった。当時はダムをたくさんつくりましたが、「水害もないからダムはいらないだろう」という批判が出るぐらいだったのです。20世紀後半は、奇跡的に地震や災害があまりない時代でした。
飯田)考えてみればそうですよね。
佐々木)ですから、阪神・淡路大震災が突然起きて、みんなが恐れおののいた。「ボランティア元年」と言われており、それまでボランティアが被災地に行くという発想はなかったけれど、阪神・淡路大震災で初めてその機運が生まれたのです。当時は村山政権でしたが、どう対応していいかわからず、自衛隊の出動がものすごく遅れました。
飯田)知事からの要請がなければ動けない時代だったわけですよね。
さまざまな経験を重ね、自治体や国の対応が早くできるようになった
佐々木)いまのように「プッシュ型支援」もありませんからね。何をどうしていいかわからず呆然となり、取り残されている人もたくさんいました。そのあと東日本大震災、中越地震、熊本地震などがあり、さまざまな地震が起きて、自衛隊や消防・警察がいろいろと動いた。ボランティアも経験を重ね、自治体や国のあらゆる対応が行われ、ようやくここまできたのです。
飯田)さまざまな経験を積み重ねて。
佐々木)能登半島地震での対応や体制に関しては、阪神・淡路大震災などの大変な犠牲があり、さまざまな教訓や反省の上に成り立っているのだと思います。今回も批判はいろいろありますが、政府や石川県の対策本部が立ち上がるのはとても早かった。自衛隊の出動も、瞬時に戦闘機が飛んで上空から偵察していました。それは、この30年近くのさまざまな蓄積があったからこそだと思います。
災害時の「情報の途絶」は解消されてきた
飯田)30年経ち、人口構成も変化しています。今回の能登半島地震は高齢化率の高い地域で起きたので、避難所での感染症の影響など、当時とは違う部分があるわけです。
佐々木)通信に関しても違います。阪神・淡路大震災のときは、まだインターネットを使っている人もわずかで、携帯電話さえほとんど普及していなかった。実際、インターネットや携帯電話を防災や復興に使うなどという発想はまったくありませんでした。ほぼ公衆電話のみです。
飯田)東日本大震災では電波が途絶えて、携帯電話が上手く機能しなかった。
佐々木)東日本大震災のときはインターネットが普及しており、携帯もそろそろスマホに代わるぐらいの感じでしたが、一方で基地局の非常電源が切れてしまい、携帯がつながらなくなった。でも、なぜかツイッターだけはつながっていて、みんなツイッターで情報収集したり、情報を公開していました。
飯田)そうでしたね。
佐々木)今回に関して言うと、基地局が非常電源になって徐々に持たなくなるのは同じだけれど、船で基地局そのものを持ち込んだり、ソフトバンクがドローンを飛ばして空中に浮遊させ、サービスエリアを構築しました。最終的には、イーロン・マスクがつくっている……。
飯田)スターリンク。
佐々木)KDDIと協力し、無償提供しました。あれは電源があるところなら、どこでも必ずつながりますから。そういう意味でも、情報の途絶は解消してきていると思います。我々は少しずつ時間を掛けて、防災に対する価値観も準備も、いろいろなところで備えてきている感じがします。
孤立した小さな山間の集落をどう防災するのか
佐々木)一方で、限界集落のような「孤絶した集落をどこまで維持するのか」という議論も巻き起こっています。この段階で言うべき話ではないと思いますが、長い目で見ると、「孤立した小さな山間の集落でどう防災を考えるか」は大事です。地方財政が非常に厳しく、インフラに回せる予算が以前と比べて半分ぐらいに減ってしまっているような状況で、どうするのか……。重要な問題ですよね。
飯田)落ち着いたところで、これも議論しなければいけないですね。
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