都知事選、今後の国政……トップを担う者に必要な資質とは?
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「報道部畑中デスクの独り言」(第376回)
ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は「トップを担う者に必要な資質」について、まさに“独り言”――
東京都知事選挙と都議会議員補欠選挙が終わってから半月が過ぎましたが、その余波はまだ続いています。巷では、第二位になった候補の分析、選挙結果における国政への影響で持ちきりですが、私はこれを機にトップを担う者に必要な資質について改めて考えてみました。
人々の共感を呼ぶ重要政策や、いわゆる「どぶ板選挙」「ネット選挙」などの選挙戦略、支援団体などの組織固め……選挙戦を構成する要素として重要です。特に政策論争は候補者が今後の東京をどこへ導こうとしているのかを有権者が判断する要素であり、選挙戦の肝であることは論をまちません。
一方で、歴代の都知事選を振り返るに思うのは、こうした政策論争などを通じて、東京都を任せるに足る「器」と「徳」を最も備えているのは誰か……これを本能的に感じ取り、投票に至る有権者が少なくないのではないかということです。
東京都は1,400万人を超える人口を抱える巨大都市です。北欧のスウェーデンの総人口を優に超える数字です。このうち、有権者数は1,153万3,132人(東京都選挙管理委員会による都知事選告示日前日、6月19日時点の集計)、今回の都知事選は投票率が60.62%でしたから、ざっと700万人弱の審判を仰いだことになります。
ただ、都知事は有権者の支持だけではありません、同じく有権者が選ぶ127人の都議会議員と対峙(あるいは協調)し、東京都の職員約3万3,000人、学校職員、警視庁、東京消防庁の職員を含めると16万6,000人あまりを束ねる立場にあります。この16万人あまりという人数は、東京では中央区の総人口にほぼ匹敵します。このような巨大組織を束ねるには、組織を動かすだけの器量、この人ならばついていくと思わせるような人徳が何よりも大切なのではないかと思います。
「器」と「徳」というものは残念ながら目には見えません。また一朝一夕に得られるものでもありません。しかし、それらは人それぞれが感じ取るものだと思います。では何をもって感じるのか、どうしたら備えられるものなのか……。考えていくうちに一つのキーワードに行き着きます。
それは「滅私の心」です。自分ではなく、何かのために「身を捧げる」という姿勢。そうした姿勢と行いの積み重ねにより、徳は積まれ、器は磨かれます。これは政治家だけでなく、企業人、スポーツの世界などあらゆる世界で当てはまることではないでしょうか。滅私奉公という言葉がありますが、歴代知事の中には知事の仕事を「最後のご奉公」と言う人もいました。
今回の都知事選で、56人という史上最多となった候補者にはそうした姿勢を持つ人もいたでしょう。これから器を磨き、徳を積む……そんな期待をもって票を投じた方々もいたと思います。大量得票した人がはたしてそういうものを備えているのか、疑問視する方々もいるかもしれません。それは有権者それぞれの判断です。ただ、間違いなく言えるのは、選挙を売名やビジネスのツールにしようという姿勢から、器と徳が培われることはないということです。
さて、翻って国政です。通常国会も終わり、議員は地元の選挙区などで各々の政治活動に勤しんでいるかと思います。秋になると、自民党総裁選、立憲民主党代表選がやってきます。8月もお盆休みを過ぎるころには誰が候補として名乗りを上げるか、動きが出てくることでしょう。
選ばれる人物は将来の国のトップになる可能性がありますが、都知事選と違い、公党のトップを決める選挙にほとんどの国民は直接関わることはありません。一方、公党の選挙には党内の「権力闘争」が加わります。特に自民党総裁選は多くの派閥が解消され、票読みが難しくなる中で、駆け引きはますます激しくなることでしょう。そんな闘争に器量と人徳は無縁かもしれません。ただ、そんな中でも器と徳を最も備えているのは誰か……そんな視点でも戦いを見つめていきたいと思います。
(了)