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ウクライナがロシアから軍事侵略を受けて3年あまり。今も日本国内には、ウクライナから避難してきた方が多く暮らしていらっしゃいます。
なかには、日本で新たに生計を立てはじめた方も少なくありません。今回は、群馬・桐生で新たにウクライナ料理のお店を開いた母娘のお話です。
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クービック・ナタリヤさん、オジブコ・スウィートラーナさん
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
かつて織物の街として発展し、今も市内にはのこぎり屋根の工場が数多く残る群馬県の桐生市。まちの玄関・JR両毛線の桐生駅から歩いて10分ほどの昔ながらの繁華街に、昨年10月、1軒のウクライナ料理のお店がオープンしました。
お店の名前は「キッチン ウクライナ」。開いたのは、ウクライナ西部の都市・テルノピリから避難してきたクービック・ナタリヤさん、69歳です。ナタリヤさんは40年以上、テルノピリでシェフとして自慢の腕を振るっていました。
一人娘のオジブコ・スウィートラーナさんが縁あって日本で暮らすようになったことで、ナタリヤさんもしばしばウクライナと日本を行き来するようになります。その初来日の時、ナタリヤさんは、いきなり成田空港で道に迷ってしまいました。
困り果てていると、全く見ず知らずの、行き先も違う日本人旅行者が話しかけてきて、ナタリヤさんが行きたい場所を調べて、乗り場まで一緒に付き添ってくれました。
『なんて、日本人は優しいんだ!』
心動かされたナタリヤさんですが、程なくコロナ禍のために行き来が難しくなります。ようやく収束の兆しが見え始めた矢先、今度はロシアのウクライナ侵略が始まりました。空襲警報のサイレンが鳴り響きミサイル攻撃に怯えるウクライナの人たちを、日本のテレビ映像で見た娘のスウィートラーナさんは、ハッと息をのみました。
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キッチンウクライナ
『お母さんを日本に呼びたい!』
そう思ったスウィートラーナさんは、日本の外務省に電話をかけまくりました。訊けば、キーウにいた多くの職員さんが、隣国のポーランドに退避したといいます。すぐにお母様のスマートフォンにメッセージを送りました。
「お母さん、今すぐポーランドへ逃げて! ポーランド経由で日本に行けるから!」
ナタリヤさんは着の身着のまま、小さなバッグ1つだけでワルシャワへ辿り着きますが、今度は日本行きの飛行機チケットがなかなか取れません。ようやく親子が久しぶりの再会を果たすことが出来たのは、およそ1か月後のこと。ナタリヤさんは、成田で5時間ものコロナ検査もあって、もうぐったりでした。
ウクライナから遠く離れた日本で、思わぬ形で親子水入らずの生活を送り始めたナタリヤさんとスウィートラーナさん。しかし、ナタリヤさんは日本語を話すことは出来ず、いつ何時もふるさとが気になって、スマートフォンのニュースサイトばかり見ている毎日が続きます。
その様子を見かねたスウィートラーナさんが一つの提案をしました。
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キッチンウクライナの店内
「お母さん、ずっとシェフだったんだから、食べ物屋さんをやってみたら?」
じつはスウィートラーナさんは、桐生のまちでスナックを営んでいることもあって、日本の飲食業界の様子はよく分かっていました。お店の常連さんたちも、背中を押してくれているといいます。そんなお嬢さんの提案にナタリヤさんも、勇気を振り絞って決心しました。
『私が出来るのは、40年以上やっていた料理を作ることだけ。頑張ってみよう!』
幸い、スウィートラーナさんのお店の近くにちょうどいい物件が見つかると、地元の大工さんをはじめ、様々な人たちが家族のようにアイディアを出してデザインや工事を手伝ってくれました。内装は障子や小上がりで日本らしさを出す一方、ウクライナらしさも散りばめました。お店のテーブルや椅子は、お嬢さんのお店の常連さんたちが持ち寄ってくれました。
スウィートラーナさんからは、日本人の味覚に合わせた料理も提案されましたが、ナタリヤさんは決して譲りませんでした。
「日本の味に合わせたら、ウクライナ料理ではなくなってしまう!」
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自慢のボルシチと手作りパン
およそ1年の試行錯誤を経て、ようやくオープンにこぎつけた「キッチン ウクライナ」。ナタリヤさんの料理への自信と誇りは、少しずつ地元の皆さんにも伝わっています。特にしっかりと煮込まれて、豚肉のうま味と野菜の甘みが引き出されたボルシチは、「やさしい味わい」と高い評価を受けて、最近はファンの方も増えてきました。
『いつか、元通りの形を取り戻した平和なウクライナを日本の人たちにも旅してもらって、本場のウクライナ料理を安心して食べられる時が来てほしい』
スウィートラーナさんは、静かに、でも力強く語ります。
まだまだ、冷たい空っ風が強く吹き付ける群馬・桐生。でも、そこに暮らす心温かい地元の人たちの優しさに包まれながら、ナタリヤさんは、ウクライナの「やさしい味」を届けるために、今日も腕を振るいます。