年末年始、ふるさとへ帰ったら、学生時代に使っていた路線バスが無くなっていたり、小さなコミュニティバスに変わっていた……という方もいることでしょう。思い出のあるバス停が姿を変えてしまうと、ちょっと寂しい気持ちになるものです。あるミュージシャンゆかりのバス停を保存、復元した人たちがいらっしゃいます。
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
瀬戸内海に浮かぶ、古くは海軍兵学校の島として知られた広島の江田島。その中心部に、「江田島市立江田島図書館」があります。中庭に一歩足を踏み入れますと、「山田」と書かれたバス停とベンチが現れます。じつはこのベンチ、ミュージシャン・浜田省吾さんゆかりのベンチなんです。
1992年、浜田省吾さんのファンクラブの会報誌に、一枚の小さな写真が載りました。浜田省吾さんご自身が江田島を訪れて、山田バス停のベンチに足を組んで腰掛けた写真。この写真をきっかけに、山田バス停は、ファンの皆さんの「聖地」となりました。今、図書館にあるものは、バスの営業所を兼ねていたバス停の建物が取り壊される際、ファンと地元の皆さんの熱意で保存され、一部は復元されたものなんです。
バス停とベンチの保存に動いた人たちがいます。
そのおひとり、植田佳宏さんは、1961年生まれの63歳。現在は四国・松山で大学の先生をしていらっしゃいますが、かつて3年間、江田島にある「国立江田島青少年交流の家」の職員として、島に赴任していました。
植田さんは少年時代に浜田省吾さんの音楽と出逢い、全国区になる前の広島時代から、コンサートや学園祭のライブに足を運んでいました。社会人になって海外で勤務していた時には、ストレスから体を壊しそうになりましたが、浜田さんが唄う「J.BOY」が、植田さんの心を癒し、支えてくれました。
植田さんは、2010年代の初め、ふるさとを知る授業の一環として、地元の中・高生と、江田島にある浜田省吾さんゆかりの人や場所を取材してもらう課題に取り組みました。
植田さんは、当時の生徒たちにまずこう問いかけました。
「浜田省吾さん、知ってる人?」
「知らなーい!!」
困った生徒たちは、それぞれの親御さんに助け舟を頼みます。すると、親御さんはもう大興奮、ちょうど浜田さんの音楽で育ってきた世代でした。押入れの奥にしまってあった昔のレコードやCDを引っ張り出してきた親御さんもいて、江田島の浜田さんゆかりの情報は一気に集まって、生徒たちの発表会は大成功。
これで終わるはずだった取り組みが、その後、まさかの動きを見せ始めます。
その頃、江田島の路線バスが、呉市交通局から民間のバス会社に移管されました。これに伴って山田バス停と併設されたバスの営業所の土地が近くの病院に売却されます。2012年には、浜田省吾さんが腰掛けたベンチも撤去されると伝えられました。これを知った生徒の皆さんと植田さんは、再び集まりました。
「このままでは、私たちが調べた浜田さんのファンの方に愛されているバス停のベンチが失われてしまいます。残してもらえるように、院長先生にお願いに行きましょう!」
最初は浜田省吾さんのことを全く知らなかった生徒の皆さんも、課題に取り組むなかで、すっかり浜田さんのファンになっていました。生徒の皆さんと植田さんは院長先生を前にバス停の文化的な価値を必死に訴えました。その熱意の前に、院長先生もベンチを残すことを約束してくれました。
無事に守られた浜田省吾さんゆかりのベンチは、近くの江田島図書館の中庭に、新たなファンの交流の場、「浜田省吾 ON THE ROAD 江田島」として保存されます。次第にファンの皆さんの口コミで話が広まって、島を訪れる人が増えてきました。ただ、図書館の中庭ということもあって、なかなか辿り着けないという声も届きます。
そこで、かつての生徒の皆さんは再び集まって、案内のリーフレットを手作りします。2014年に無料配布が始まると、瞬く間に人気を集めて、図書館に置かれたファンの交流ノートには、全国から訪れた皆さんの浜田省吾さんへの思いが溢れました。
この図書館を拠点とした、地元の皆さんの地道な取り組みに行政も動きます。2023年には、かつてのバスの営業所の壁やひさしが丁寧に再現されました。金属の錆は、まるで浜田省吾さんが座った時のように、茶色のペンキで描かれ、一部には、解体の時に丁寧に外されて保存されていた部品が再利用されました。さらに昨年には、ファンの方から寄贈された資料の展示室も設けられました。
バス停の再現から1年あまり、最初のリーフレットの作成からは10年が経ったいまも、休みの日を中心に、多くのファンの方が、再現された山田バス停を訪れています。サングラスの貸し出しも行われていて、訪れた方は、浜田省吾さんになりきって、会報誌の写真と同じように足を組みながら、楽しそうに記念写真を撮っていきます。
その様子を見守りながら、植田さんはこう話してくれました。
「バス停が残ったのは本当に奇跡です。最初は中・高生たちの学びから始まりましたが、生徒も家庭を持つ世代になって、きっとお子さんにも浜田さんの歌が届くと思います。改めて音楽は、世代を超えてつながっていくものだと思いますね」
浜田省吾さんの歌が好き、その思いが人と人を繋ぐ場所が、広島・江田島にはあります。