ノーベル賞受賞決定会見でみた研究者の神髄
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ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム「報道部畑中デスクの独り言」(第492回)
2026年のノーベル賞ウィークが終わりました。今年もドキドキ、ヤキモキの1週間でしたが、日本人受賞の快挙がありました。化学賞で東京理科大学の硤合憲三(そあい・けんそう)栄誉教授(10月8日付で東京理科大が称号授与)の受賞が決定。日本のノーベル賞受賞は3年連続となります。

記者会見
舞台裏というには恥ずかしい限りですが、あるエピソードをお伝えします。ノーベル賞は論文の引用数、各種科学賞の受賞などで、毎年、下馬評に上がる方々がいます。発表の日には報道各社が“有力候補”を取材し、決定の瞬間を待ちます。中にはすぐに記者会見が始められるように準備を整えている所もあります。
私は首都圏にいる複数の有力候補をカバーするため、どこへでも駆け付けられるよう東京・渋谷で待機していました。ノーベル賞の配信動画に出てきたのは、「Tokyo University」の文字。「すわ、東大か?」と思い、“最短ルート”の東京メトロ銀座線に向かいましたが、その後、関係者から「東京“理科”大学」の連絡。よく見るとTokyo Universityの後に「of Science」と書かれていました。慌てて理科大ルートの半蔵門線に走ったのでした(ちなみに東大の英語名称は 「The University of Tokyo」)。
一方、硤合さんは授賞の連絡があった時、自身は近所のスーパーマーケットで食材の買い物をしていたそうです。記者会見でも「全然そういう予測もしていなかったから、大慌てというか……」と話していました。東京理科大も慌ただしく準備に追われていたことから、本人、関係者にとっても「青天の霹靂」だったようです。メディアをはじめとした予想を軽々と超えてくるノーベル賞、やはり恐るべしです。
■会見で感じられた硤合栄誉教授の人柄と矜持

東京理科大学神楽坂キャンパス
東京理科大学神楽坂キャンパスに設けられた会見場。午後10時、授賞発表から3時間あまり、硤合さんが姿を見せました。関係者から花束が手渡され、フラッシュの光を浴びながら着席したスーツ姿の硤合さんは、喜びというより、いささか戸惑っているようにも見えました。
とは言え、記者会見では「自分で言ったらおこがましいが、受賞できても文句は言われないだろう」とも発言。会場は笑いに包まれながらも、自身の研究に対する信念と矜持を感じた瞬間でした。
今回はフランス・パリサクレ―大学のアンリ・カガン名誉教授との共同受賞。「大変うれしい。とりわけ、フランスの著名なアンリ・カガン先生と一緒に受賞できるということを、非常に喜んでいる」と、単独ではなく、共同受賞であることを何よりも喜んでいました。そして、「実験科学は教員と学生のコンビネーションが大事。非常に良い人たちとめぐり会えた」と周囲への感謝を何度も語り、真摯な人柄も感じられました。
■久しぶりに聞いたフレーズ、「イセイタイ」とは?

会見場には続々と記者が詰めかけた
授賞理由は「不斉有機合成における非線形効果と自己触媒反応の発見」というもの。硤合さんの研究分野は「自己触媒反応」にあたります。
研究のキーワードになるのは異性体(イセイタイ)です。物質をつくる分子には異性体というものが存在します。同じ分子式でもその構造や結合配置が違うもので、時に全く違う性質を表します。異性体には構造異性体と立体異性体があります。構造異性体の例としてはエタノールとジメチルエーテルが有名です。ともにC₂H₆Oという分子式で示されますが、分子構造が異なります。より細かい構造の特徴を示す示性式ではエタノールはC₂H₅OH、ジメチルエーテルはCH₃OCH₃で表されます。前者はご存知の通りお酒の成分、後者はスプレー噴射剤や燃料に使われるなど、用途も異なります。
一方の立体異性体。これは、結合は同じでも三次元的な配置が違うものをいいます。中でも、右手と左手のように、同じ形をしていても、鏡に映したように重なる合うことのないペアを鏡像異性体と言います。高校の化学で「光学異性体」といっていたことを思い出しますが、この名称は現在、国際的には推奨されていないようです。
硤合さんが発見した「硤合反応」はあるきっかけで「右手型(D体)」「左手型(L体)」のうち、片方を自己増殖的かつ爆発的に増やすことができるというもので、「不斉自己触媒反応」の一つです。不斉の「斉」は“斉藤”などの人名でよく使われますが、もともとは「きれいに揃っている」という意味。つまり「不斉」は「揃っていない」「非対称」の意味になります。硤合研究室の資料によると、「反応初期にわずかな不斉の偏りが、反応の進行とともに増幅し、最終的には光学的に純粋な生成物を与える極めて高効率な不斉合成反応」とあります。
実は、生物の源の一つであるタンパク質(アミノ酸)はほぼ「左手型」です。なぜそうなったのか……、科学の謎の一つでした。硤合さんは、結晶形成の過程でわずかに非対称な現象があれば、化学反応によって片方だけを増殖できるということを、世界で初めて解明しました。生物を構成するたんぱく質が左手型に偏ったのはこうした現象があったのではないか……、私たち生物の起源解明につながるというわけです。

身振り手振りで研究内容を説明する硤合栄誉教授
一方、医薬品には効果や副作用が異性体によって違う場合があります。俗に「毒にも薬にもならない」という言葉がありますが、実は右手型か左手型かで「毒にも薬にもなる世界」があります。つまり、必要な型を選ぶことで、副作用のない安全な医薬品を効率的に合成する技術につながると期待されています。会見では具体例として、エイズ治療薬合成への応用が挙げられていました。
また、飲食料品では例えばリモネンという柑橘類に含まれる成分があります。右手型はレモンのような香りが強いのに対し、左手型はミントのような香りがします。また、うま味調味料で知られるグルタミン酸にも異性体があり、うまみを感じるのは左手型で、右手型はほぼ味がないそうです。例えば、「レモンの香りのケーキ」「うまみ調味料」をつくる場合もこの合成を間違えると、全く違ったものができてしまう可能性があるのです。「硤合反応」がこれらの「必要な片方だけをきれいにつくる」可能性につながるわけです。
生命の起源の解明、医薬品や飲食料品の安全な製造につながる研究とされる所以です。
■俗人的発想を超えた研究への情熱をみる

会見後、写真撮影に応じる硤合栄誉教授
ただ、ここまで述べた「生活にどう関わるのか」「何に役に立つのか」などという視点は全くもって俗人の発想と言えます。硤合さんは「私どもの反応は便利な役に立つ反応を指向したものではない。応用ができるに越したことはないが、物理学賞や宇宙の研究ではあまり応用について質問はされない。何で化学賞だけ『応用』ってきかれるのか」と指摘していました。
その上で、「基礎も大事にしてほしい。今回、そのような基礎的事象・反応が評価の対象になったのは非常にうれしい」と語りました。硤合さんの想いは基礎研究の重要性を説くとともに、応用や成果を求める風潮へのアンチテーゼでもあります。
一方で、研究そのものに話が及ぶと、硤合さんはもう何時間でも話したいとばかり、本当に楽しそうだったのが印象的でした。異性体についても両手を掲げて、身振り手振りで噛んで含めるように解説していました。
「何かを知りたいというところにもともと興味があった。仕事(授業や講義)とはまた別に、ノルマなどを感じずにおもしろいからやってきた」
知の探求……、これこそが科学者、研究者の神髄であり、その情熱が今回の授賞につながっているのだと思います。
私も会見では「先生の学問は一言でどういうものか」と問いかけました。「一言で」は愚問そのもので、硤合さんは以下のように丁寧に答えてくれました。
「なぜ最初に片方のものがどんどん増えたんだろうかという点に一番興味をひかれた。確率的な揺らぎから自発的に片方を作り出す反応を実験で再現できたことは、若いころには思ってもなかったことで非常に感慨深く思っている」
硤合さんが最初に不斉自己触媒を見つけたのは1990年。それ以降は「反応があるかどうかを探す」という作業だったといいます。「苦しかったことがなかったとは言えないが、全然覚えていない。気にもしてないのだと思う」と飄々と話す一方で、反応があるかどうかもわからず、「暗い所で頭にヘッドライトをつけて地面をずっとたどっていっているような気分だった」と、これまでの道のりを語りました。
リチウムイオン電池の基礎をつくり、2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんが、電池がブレイクするまでは研究開発をしながら「真綿で首を絞められるような苦しみ」と話していたことを思い出します。先のわからない世界を進めていく想い……、当事者ならではの感慨なのだと思います。
硤合さんは御年76歳ですが、研究について「完全にはまだ解明したわけではなくて、まだまだおもしろいことがあるはず。今後ともそういう分野の研究が進むように微力ながら尽力したい」と、さらなる意欲を示しました。
これまで私は様々な分野を取材してきましたが、本当に好きなことに没頭している人、“天職”として全うしている人の多くは年を取られても本当に元気です。硤合さんも今後、未知なる領域に向けて、矍鑠と研究の歩を進めていかれることでしょう。
(了)





