学校の先生を続けながら「彫刻家になる」夢を追い続けた男とその夢を二人三脚で支えた奥さま 【10時のグッとストーリー】

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埼玉県川口市のアトリエで、石に向き合い、コツコツと彫り進め、作品を創り上げていく…
アトリエの主は、彫刻家・市川明廣(いちかわ・あきひろ)さん・67歳

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頭に完成形のイメージを浮かべながら彫り進める地道な作業。石は一度彫ると、元には戻りません。
体力的にも、精神的にもハードな作業ですが、それでも辛抱強く、石に向かい続ける市川さん。
ある程度彫り進めると、必ず「どうかな、これ?」と率直な意見を聞くパートナーがいます。
一つ年下の奥様・和美(かずみ)さん。時には、辛辣なことを言われたりもします。

「それでいいんです。前に進むためには、手厳しい言葉も必要ですから」

愛知県一宮市に生まれた市川さんは、中学生のとき、美術の先生に影響を受け、彫刻家になることを決意。東京藝術大学の彫刻科に進み、1975年、大学院を修了します。
大学院を出ても、すぐ彫刻家として食べていけるわけではないのが、芸術の世界の厳しいところ。
幸い、学部長の紹介で非常勤講師として東京藝大に残ることができましたが、その学部長が退官すると、市川さんも退職を余儀なくされました。

生活のため、市川さんが選んだのは、東京都の中学・高校で非常勤講師として美術を教える仕事。
このとき「専任講師になりませんか?」という話もありました。そうすれば生活は安定しますが、専任講師になれば様々な仕事が発生し、創作時間は大幅に削られてしまいます。
どうしようか迷っていた市川さんに、奥さんの和美さんは、ピシャッとこう言いました。

「私は彫刻家と結婚したんです。学校の先生と結婚したんじゃないのよ!」

その言葉を聞いて「ハッ」とした市川さんは、専任講師の話を断り、創作時間を確保できる非常勤講師に。
子供も2人生まれ、生活費はギリギリでしたが、和美さんがうまくやりくりしてくれたお陰で、市川さんは二科展で受賞を重ねるようになりました。

「石の彫刻は、一つ一つ手作業で彫っていくので、版画のように量産が利きません。一つの作品を創るのに何ヵ月もかかるのはザラで、創れるのは年に7、8作です」

彫刻家として名前が知られるようになっても、少ない作品を売って生活していくのは大変なこと。
石と向き合うのは好きでも、人付き合いがあまり得意でなかった市川さんに代わって、和美さんはマネージャーのように、仕事を取ってきたり、売り込みに行ってくれました。

「女房には頭が上がりません。完全に尻に敷かれてますよ(笑)」

そんな和美さんの献身的なサポートもあって、市川さんは意欲的な作品を次々に発表。
順調に彫刻家の道を歩んでいましたが、2005年、体に異変を感じます。
病院で診てもらうと、診断の結果は・・・「胃がん」。
手術で胃の3分の1を切除。

これまで芸術家として、自力で道を切り拓いてきた自負があった市川さんですが、がんという、自力ではどうにもならない事態に直面して、改めて自分がたくさんの人に支えられてきたことを実感しました。
そのことで、作風も自然と変化。
ある日、芸術家仲間にこう言われました:

「石は硬いけど、あなたの彫刻は柔らかそうに見えるね」

おととし65歳になった市川さんは、美術講師を定年退職し、創作活動に専念。
この年、お父さんを亡くしましたが、新たな作品のインスピレーションも生まれました。

「母親というと、イコール海、というイメージがありますが、父親のイメージは、森や山につながるんじゃないか、と思ったんです」

そのアイデアが形になった作品が、千駄ヶ谷をイメージしたモニュメント「へんだがやの森」。

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父親の威厳をイメージした森から、人の頭や足がのぞく、非常にユニークな作品です。
これが、第100回記念の二科展で「ローマ賞」を受賞
市川さんはその賞金で、和美さんと夫婦水入らずでローマを旅しました。
長年の「内助の功」に対する感謝も込めて。

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「あなた、コツコツ努力してきたことが、ついに報われたわね」
  「そうだな、俺に才能があるとしたら、それは『続けること』かな・・・」

八木亜希子LOVE&MELODY

番組情報

LOVE & MELODY

毎週土曜日 8:30~10:50

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