寺院の消滅危機!生き残り策とは 【ひでたけのやじうま好奇心】
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旧盆が近付いていますが、けさは、お寺のお話です。
実はお寺が今、消滅の危機を迎えています。
日本にはお寺が7万7000ほどあるそうですが、そのうち、推定では2万程度が既に空き寺だと推測されています。
つまり、4分の1以上のお寺が住職のいない「空き寺」なんです。
この状況はますます悪化するようで、今から24年後の2040年までに、さらに1万程度が空き寺になる見通しのようです。
4割くらいのお寺が空き寺になる日が来るのかもしれません。
非常に淋しい話ですが、そこで、けさは「お寺が減少する要因と打開策」について、実際にお寺に携わる方にお聞きしました。
おひとり目は「日経おとなのOFF」の副編集長で、京都・正覚寺の副住職もされている鵜飼秀徳(うかい・ひでのり)さん。
特に心配なのは、地方都市のお寺。
2014年5月に民間研究機関の日本創成会議が発表した「消滅可能性都市」896市区町村のリストによると、2040年には全国の自治体の49.8%、およそ半分が消滅する可能性があると指摘しています。
こうした消滅する可能性が高い都市には、多くの宗教法人が点在。
全17万6670法人のうち、およそ35.6%が「消滅可能性」にある事が判明しました。
では、なぜ地方を中心にお寺が消滅の危機を迎えているのか?
まず第一に、「核家族化によるイエ制度の崩壊」。
イエのかたちが崩れれば、お墓や菩提寺を継承していく必要がなくなります。
既に地方都市では故郷にある墓を、都会に住んでいる自分たちの近くに移す「墓じまい」が増えています。
現在、東京では墓じまいの受け皿として巨大な納骨堂が次々と出現。
現在、自動搬送式と呼ばれるビル型の納骨堂(数1000基から1万基ほどの納骨スペースがある)は10棟ですが、東京オリンピックが開催される20202年には倍増すると見られています。
そして第二が「第一次産業(林業、農業、漁業)の疲弊」。
高度成長期まではこうした産業がムラを支え、地域の有力者となり、菩提寺を資金面でささえていました。ところがバブル崩壊以降はこうした一次産業が崩壊=ムラが崩壊し、ムラの高齢化もあって、寺院が支えられなくなっているのです。
第三に「死生観の変化」。
核家族が進み、都会に住んでいると、例えば新しいタワー型マンションでは仏壇が置けません(そもそも仏間がついていない)。
仏壇保有率は1999年=57%→2009年=52%、首都圏では45%で、直近だと3割台まで下がっています。
仏壇に花やお供え物を親や祖父母がそなえるのを見ながら育った子供と、都会型の「死」や「見えざるもの」を感じずに育った子供とでは、その後、死生観が大きく変わってきます。
つまり、寺との繋がりが精神面から薄れていくわけです。
その結果、葬儀の縮小、法事を行わない、といったお寺の収入に直結する社会の流れが寺院消滅の流れを加速させています。
過疎の地域では檀家数が少なくなっているため、住職は別の職業との兼業を余儀なくされてしまいます。
すると、お寺のことにあまり時間を割くことができず、お寺は廃れていってしまうという悪循環に陥っているそうです。
では、地方の寺院が生き残る為にすべき事は何か?
全国各地のお寺運営のアドバイザーをされている税理士で住職の河村照円(かわむら・しょうえん)さんのご意見です。
1つ目は「今までお寺のメインの役割であった供養の徹底化」。
「葬式仏教」として揶揄される背景には、葬式すらまともにできないお坊さんといった世間の期待に応えてこなかった反動がある。
しかし最愛の家族の死という局面に対して、悲しみや苦しみを癒してあげられるのも宗教者の役割。訃報が入ったらすぐに駆け付け、死化粧や納棺にも立ち合い、遺族の心理状態が一番不安定な時にずっと寄り添ってあげられるお坊さんであれば、「葬式仏教」と揶揄されることもなくなると思う。
2つ目は、「人の苦しみに向き合っていく事」。
もともとの仏教はお葬式をするためのものではなく苦しみからの解脱を目的とするもの。
現代人が抱えるさまざまな心の苦しみに対してお坊さんが向き合っていけば人々から求められるお寺として生き残っているはず。
移り行く時代の流れに合わせて、人の心の苦しみの変化に合わせて仏教を伝えていくことがお寺が生き残るために必要なことだと思う。
お寺も、次の一手を考える時期に来ているようです。
8月12日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より