柴咲コウさん主演、今年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』が、まずまずの滑り出しをみせています。
初回視聴率は16.9%、第二回は15.5%、そして22日放送の第3回目の平均視聴率は14.3%。
一見、ジリ貧のようにも見えますが… 実はまだ、主人公が子役の段階でして、みなさんお目当て、主演の柴咲コウさんは、まだ「出番なし」。
そろそろ満を持して「おんな城主」柴咲コウさんが勇躍登場というところから数字がグイッと上向きになるのかどうか… 真価が問われるのは、ココからと言われています。
さて… そんな柴咲さんが演じるのは、おんなだてらに戦国武将だったとされる「井伊直虎」の役。
遠江の国(※現在の静岡県浜松市)の名門、井伊家の家督を継ぎまして、文字通り「おんな城主」となり、獅子奮迅の活躍をみせていく… という血沸き肉躍るストーリー。
先ごろ、「新しく発見した資料によると、直虎はズバリ、男だ!」という研究家の方が現れまして、「男か女か」という部分でも、話題を呼んでいます。
(※ちなみに、『おんな城主 直虎』の時代考証を担当している小和田哲男・静岡大学名誉教授は「(新資料は)直虎が女性であることを否定するものではない」として、「男説」をキッパリ否定しています。)
さて、実際の井伊直虎が、男だったのか、それとも女だったのかは、後世の研究に委ねることとして…こういう「女性が男性の名で城主となる」というケースそのものは、充分に在り得る話なのだそうです。
…というのも、戦国時代には、男の後継ぎがいない場合、急場しのぎとして、女性がオトコ風の名前で家督を継ぐ…という例が、少なくなかったらしいのです。
そこで今日は、「実は、女性だったのではないか?」というウワサがある(ちょっと意外な)戦国武将をご紹介しましょう!
その戦国武将とは… ズバリ!「越後の虎」と謳われた最強の戦国武将、上杉謙信!
バカなこと言ってんじゃないよ!と思うでしょ?
ところが、この「上杉謙信女性説」というのは、随分と昔から、まことしやかに囁かれてきたお話でして… 歴史ファンの間では、「常識も大常識」なのだそうです。
たとえば、ヤフーと、大手ゲーム会社「スクウェア・エニックス」が共同運営している、「戦国IXA」(せんごく・いくさ)という、大人気のオンラインゲーム。
このゲームには、当然、大物戦国武将のひとり、「上杉謙信」が登場するのですが当たり前のように「美人の上杉謙信」が出てきます!(※戦国IXA 千万の覇者 YAHOO版の武将カード版 ※ちなみに、この謙信…大変な「巨乳」です!)
ゲームの世界だけではありません。
2007年の大河ドラマ『風林火山』では、歌手で俳優のGACKTさんが、上杉謙信を演じたのですが…このとき、GACKTさんは、女性っぽいメイクを施したうえで、ストレートロングの謙信になりました。
しかも、GACKTさんは「女性説があるということを踏まえた演技をしたい」と「謙信=女性説」を意識した役作りをしたということを語っています!
では… なぜ、かの上杉謙信公に、「女性説」が持ち上がったのでしょうか?
「上杉謙信=女性説」が初めて唱えられたのは、意外にも最近でして、ほんの半世紀ほど前のこと…。
昭和43年(1968年)。八切止夫(やぎりとめお)さんという歴史作家が、それまでのご自身の研究成果をもとに、ある大手新聞の夕刊に、『上杉謙信は男か女か』という「小説」の連載を開始。
これが評判を呼びまして、のちにタイトルを改めて、ズバリ!『上杉謙信は女だった』というタイトルの単行本となりました。
(※ちなみにこの本、出版社を替えて何度も単行本化されていて、2000年代に入っても再販されてます。)
さっそく、矢切さんの「主張」を始めとして、巷で囁かれるようになった「上杉謙信=女性説」の根拠を、いろいろとご紹介しましょう!
■「敵に塩を送った」という逸話が女性的?
ライバルの武田信玄の領地が、塩不足になったとき。
謙信は、見過ごすことができずに、信玄に塩を送ったといわれていますが…この行為そのものが、異例中の異例。
そもそも、この優しさこそが、非常に「女性的」ではないか──といわれています。■謙信が、ある文書の中で「叔母」と呼ばれている!?
八切止夫さんの説によると…
スペインのゴンザレスという人物が、スペイン国王・フェリペ2世に宛てた報告書の中に、「上杉景勝は、叔母が開発した佐渡の金を持っている」という文面があったということで、上杉景勝は、謙信の姉の子どもで、謙信には他に姉妹はありません。
つまり、文中の「叔母」というのは、謙信以外には考えられない…というのです。■越後の民謡に「女性説」の証拠があった?
矢切さんの説によると、その昔、越後には、「ごぜ唄」と呼ばれる民謡があったのだそうです。
この民謡の歌詞の一部は、こうです。
「寅の日に 生まれたまいし 政虎(まんとら)さまは 男も及ばぬ大力無双。」
政虎(まさとら)というのは、謙信と名を改める前の名前です。
そして、政虎さまは男にも負けぬ怪力の持ち主だ… と唄われている。
「男にも負けぬ」ということは、すなわち、女性だ!というわけです。■手紙の筆跡、読書傾向が極端に女性的だった!
謙信の字は、流麗このうえなく、筆の運びが「まことに女性的」だったそうです。
そして、「歌会」では、実に達者な恋唄を披露した… とも言われています。
さらに、読書傾向も女性的。
「源氏物語」や「伊勢物語」といった恋愛ものを好んで読んでいたそうです。
実際、織田信長は、謙信に「源氏物語の図屏風」を贈っているのですが…
コレ、いまでいうと、少女マンガの名作をプレゼントしたような感覚なのだそうですよ。■生涯独身を貫いた… そして、死因も「女性的」だった?
謙信は、生涯独身を貫きました。
当時の戦国武将としては珍しいケースですが… 女性だったとすれば、シックリきます。
さらに、謙信の死因は、「大虫(おおむし)」と記録されているのですが…
この「大虫」とは、一般的に、「更年期障害」とか「婦人病」のことを示すのだそうです。■お馴染みの「謙信の肖像画」。謙信本人ではない?
有名な、上杉謙信の肖像画をご存じでしょうか。
アレを見ると、とても女性とは思えません。
なにしろ、顔の下半分に、「無精ヒゲ」が、ワサワサと生えています。
でも、いろんなヒトが見るであろう肖像画にしては、行儀が悪くありませんか?
ピンと伸びた口髭ならばともかく、無精ヒゲは、なんとも不潔に映ります。
ヒゲを剃ってから、肖像画を描かせたほうが、カッコいいはずですよね。
実はあの有名な「無精ヒゲの肖像画」は、江戸時代に入ってから画家がイメージで描いたものだと言われているます。つまり、実際の謙信とは、似ても似つかない!
では、なぜ上杉家は、こんな「無精ヒゲの肖像画」を描かせたのでしょうか?
いちおう、「理由」があります。
戦国時代には「女性城主」は当たり前でしたが、江戸時代となると、そうはいかない…。
江戸幕府が定めた「武家諸法度」によりまして、女性城主は、いっさい認められなくなったのです。
もしも、ご先祖様の上杉謙信が女性であることが露見すると、お家断絶の事態になるかもしれません。
そこで、どこから見ても男であるように、武将に相応しい肖像画を描かせた… というのです。
~もちろん、「上杉謙信=女性説」の確実な証拠は、いまだに見つかっていません。
いずれにせよ、現在ちまたに流布されている「謙信=女性説」の論拠のベースとなっているのは、ほぼ全て、八切止夫さんの著作『上杉謙信は女性だった』なんですが…
実は、意外と触れられていない「事実」があります。
八切止夫さんは、こんな本も書いているんです。ズバリ…!『徳川家康は二人いた』!
つまり、八切さんという方は、耳目を引く新説、珍説を編み出す「稀代のアイデアマン」であり、その奔放な想像力と説得力に、後世の人々が我知らず、引きずられたのではないか…?そんな背景も見え隠れします。
(※八切氏のいう「ゴンザレスの報告書」や「ごぜ歌」の資料も確認されてはいません。)
でも、有名な珍説「源義経=ジンギスカン説」よりは、多少信憑性がある… といったところ。
「眉唾」なのは、百も承知。「おんな城主 直虎」に乗っかって、話のタネとしてお酒の席で、「謙信=女性説」をブチあげてみるのも一興じゃないでしょうか。
1月25日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より