私が、初めて被災地を訪れたのは、地震発生から3週間後のことだった。
一面に瓦礫が広がり、倒れた鉄塔、そして至るところにドラム缶が散乱していた。宮城県仙台市宮城野区……、海岸から2キロほど離れたこの地域は、人々の暮らしがあったとは思えないほど、何もかも津波に流されていた。
そんな荒涼とした風景の中に、奇跡的にポツンと残った白い家があった。近づくと、家の前で泥だらけのシャベルを洗っている二人の少年がいた。
「この家の子?」と聞くと、二人は黙ってうなずいた。
「ご両親は?」
「家の中で、泥だしをしてる……」
玄関先から「すみません、少し、お話を伺えませんか?」
家の奥からご夫婦が顔を出した。これが遠藤さん一家との出会いだった。
インタビューに答えてくれたのは奥さん。
「ご覧の通り、家の中は泥でグチャグチャ。建てたばかりの家で住宅ローンもいっぱい残っているし、どこから手をつけたらいいのか……」
途方に暮れる奥さんから3月11日の話を聞くことができた。
「あの時、私は塩釜の仕事場にいて、頭によぎったのは息子たちのことばかり。心配で心配でじってしていられず、すぐに車に乗って自宅へ急ぎました。」
その途中、奥さんは異様な光景を目にする。
「対向車線は、みんな海辺から避難する車で大渋滞。私が運転する車線はガラガラ。あとで聞いたら、その大渋滞の車の列は津波に飲み込まれたそうです。家に着くと息子たちは中学校で待機していることが分かって、ホッしていたら、外が騒がしくなってきたんです。窓の外を見ると、津波が我が家に迫ってきたんです。」
1階に泥水が流れ込み、奥さんは2階へと避難。このまま津波に流されてしまうのか、生きた心地がしなかった。津波が引くと、遠藤さんの家だけが一軒だけ、ポツンと残った。
翌日、家族4人の無事を確認した奥さんは抱き合って泣いたという。しかし、大量の泥が入り込んだ家は手がつけられない有様だった。繰り返す余震にふるえ、いつまた津波が襲ってくるかもしれない。そんな不安でいるよりも、遠藤さん一家は、安全な場所に移り住むことになった。
その年の春、遠藤さんの奥さんから電話がかかってきた。
「次男が落ち込んでいるんです……」
話を聞くと、野球部やサッカー部はプロ選手が「ガンバレ!」と応援に来てくれるが、次男が入っているハンドボール部には誰も来ない。息子がやる気をなくしている。どうしたらいいか。そんな相談の電話だった。
その話を番組のスタッフにすると「いい人がいますよ!」と、名前が挙がったのが人気漫才コンビ「ザブングル」の加藤歩さん。二の腕の力こぶを叩きながら「カッチカチやぞ!」で人気の加藤さんは、高校時代、ハンドボール部に所属し、三重県内でベスト4になった。あの筋肉はハンドボールで鍛えたものだった。スタッフが加藤さんに相談すると「よっしゃ!」と了諾。すぐに仲間を集め、ワゴン車に乗って、次男クンが通う中学校へ慰問に行ってくれた。
東京から人気お笑いコンビの「ザブングル」が来た! と次男クン大喜び。
「この時、息子の“やる気”スイッチが入ったんですよ」と母親。なんとその年、いつも負けてばかりの弱小チームが、仙台市で優勝!続く宮城県大会でも優勝!東北大会への出場も果たした。
今年3月5日、私は遠藤家を訪ねた。
被災後、借り上げ住宅の六畳二間のアパートに暮らしていた遠藤家は、1年前、1,200万円かけてリフォームし、あの白い家に戻って来た。泥だらけで床もめくれていた室内は見事にリフォームされていた。しかし1,500万円の住宅ローンもあり、典型的な二重ローンに苦しんでいる。ご夫婦フルタイムで働いているがご主人が60才で定年。嘱託になると収入が減ることになる。
「仕事もあって、家族もみな健康なので、ローンに関しては、国や自治体からの援助はありません。このような話はほとんど報道されないですよね。」と遠藤さんは残念がる。
この家を売ってしまおうかと考えたこともあったが、ご主人がこの家にこだわった。「津波に耐えた家を手放すわけにはいきません。それに売ろうにも売れないしね。」と笑います。
長男は社会人になり、中学2年生だった次男クンは、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、この春、大学生3年生に。がんばれ!遠藤家。