ニッポン放送報道部宮崎裕子記者「まちづくりはどうあるべきか~宮城県岩沼市・山元町取材記~」【ひでたけのやじうま好奇心】

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高嶋)今週の土曜日3月11日あの東日本大震災から6年を迎えます。
そこで今週1週間のやじうま好奇心の時間では、ニッポン放送報道部の記者が自らその足で被災地を訪れて、それぞれの視点で「被災地の今」についてリポートしてくれます。
けさは、宮崎裕子記者の「復興に向けた新しいまちづくりはどうあるべきか」です。

先月、日本記者クラブの取材団の一員として福島・宮城の被災地を訪問しました。
福島は原発事故の影響で厳しい状態が続いていますが、宮城県は街やインフラが整備され、いわば「復興の総仕上げ」の時期に差し掛かっています。
しかしここへ来て、自治体による復興度合の“差”が生じ始めていると感じざるを得ません。
そこで今回は「復興に向けた新しいまちづくりはどうあるべきか」という視点から、宮城県のふたつの自治体にスポットを当てます。

【岩沼市】

宮城県の南東部、仙台まではJRで20分ほどの太平洋に面する街です。
仙台空港を有しており、ここも津波等で181人が死亡、沿岸部は壊滅的被害を受け、6つあった集落は津波で跡形もなく流されました。

6集落のおよそ400世帯は、震災からわずか1か月後の早い段階で「自分たちは同じ場所に集団移転する」と決め、住民同士が意見を一致させ、当時の市長も「わかった」と即断、住民の意向を尊重し、市が移転先の土地予算の確保をおこなっていました。
そして、移転先は内陸の玉浦西という地区に決まり、6つの集落の代表で「玉浦西地区まちづくり検討委員会」というものを発足させましたが、このメンバーはそこに住む市民(町内会長、女性代表、青年代表)と学識経験者、アドバイザーで構成され、市の職員(行政職員)は一人も入っていませんでした。
まずこの委員会で、どんな街にしたいか(集会所がほしい、緑地がほしい、等)を話し合って、模造紙にお絵描きしながら、各自の意見を付箋に書いて貼り付けて、“理想の街”を描いていきました。
つまり街の青写真を、行政ではなくそこに住む住民が決めていったということです。

ふつう復興計画というのは法律がまず整備され、そのための財源が整い具体的にできるという見通しがたって動き出します。
その間、住民は「待ち」の状態が続きますが、岩沼市の場合は先に市民が街のグランドデザインを作って、行政がその意向に沿って動くという形となったのです。

こうして市民が作ったグランドデザインを具現化するため、今度は行政が『岩沼市震災復興計画マスタープラン』を策定し、7年間で復興するという短期目標をかかげて動いてきました。

ラスト1年となった現在は、街はほぼきれいに整備され、住めなくなった沿岸部の地域は10キロに渡る「千年希望の丘」という公園として活用し、そこに25万本の苗木を植えて「緑の堤防」を作っています。

津波で流された集落は公園に…「千年希望の丘」(宮城県岩沼市)

津波で流された集落は公園に…「千年希望の丘」(宮城県岩沼市)

人口も、震災前の44,000人から一時は600人以上減少しましたが、いまでは70人のプラスに転じています。
「住みよい街」と答える市民の割合も86%と高く、岩沼市が「復興のトップランナー」と称される所以になっています。

【山元町】

岩沼市よりも南、福島県と接している山元町。
仙台へはJR常磐線で40分、通勤通学も便利なベッドタウンで、気候も年間を通じて温暖なので「東北の湘南」と呼ばれています。

町民手作りの臨時災害FMラジオ局『りんごラジオ』(宮城県山元町)

町民手作りの臨時災害FMラジオ局『りんごラジオ』(宮城県山元町)

この街では、大津波で沿岸部の住宅1,000棟が流失し600人以上が死亡、交通の要であるJR常磐線が、山元町は沿岸部を走っているので駅舎・線路もろとも流され壊滅的被害を受けました。

被災後、山元町が打ち出した復興計画というのは、JR常磐線を内陸に1キロ寄せて再建し、新たに出来る2つの駅の周辺に2つの市街地をつくり、もうひとつ大型病院周辺の市街地をつくる。
合わせて3つの新市街地を行政主導でつくり、そこに、町の南北に分散していた10の集落をまとめる… というものでした。

ただ、一部の集落は近くの高台へ集団移転したいとの要望を出しましたが、町は「独自の集団移転を認められない」と突っぱねました。
こうして山元町の街づくりは町長主導で行われていきましたが、「町長の手法が強引だ」として2013年には町議会で町長の問責決議が全会一致で可決されたり、その後の2014年の町長選挙では、元町長が対抗馬として出馬し、現町長が辛くも再選するといった事態が起きました。
議会の中もバラバラで、町長と町民の合意形成も図れないまま、3つの新市街地構想が進められました。
そんな中、新市街地の核となるJR常磐線の駅が去年12月にようやく完成。
結局、その間に常磐線で通勤、通学していた町民は次々とよそへ引っ越してしまい、震災前は16,000人いた人口がこの6年で12,000人と、およそ4,000人も減少してしまいました…。

住民主導のまちづくりを行った岩沼市。
行政主導のまちづくりを行った山元町。
被災状況、犠牲者の数も違い、さらに職員の数も違うので、軽々に結論は出せませんが、改めて「新たなまちづくりの難しさ」を感じさせる被災地訪問となりました。

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3月8日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より

高嶋ひでたけのあさラジ!
FM93AM1242ニッポン放送 月~金 6:00~8:00

20170311_東日本大震災から6年…復興は今_しゃべる(1)

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