高嶋)時代と感動と驚きを伝えてきたレジェンドアナウンサーが連日登場!
3日目は、大相撲の名実況でつとに有名、元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの、杉山邦博さんです。
高嶋)お会いできるのを楽しみにしておりました。おはようございます!
杉山)おはようございます。
高嶋)私は相撲が大好きで、杉山さんの人生を歩みたかったんです(笑)。大相撲の実況は、いつから担当されたんですか。
杉山)1953年、昭和28年にNHKに入局したのですが、最初の赴任地が名古屋でしてね。いきなり“準本場所”の名古屋場所を15日間務めることになったんです。
高嶋)その頃の相撲で言いますとね。少し時代が下りますが、横綱・吉葉山の「雪の優勝
パレード」がございましたでしょ(※昭和29年初場所)。私、まだ小学生でしたけど、もう寝ても覚めても吉葉山でして、毎日、ラジオにかぶりついてたんですよ。
杉山)そんなに少年時代から相撲に憧れておられたんですか。
高嶋)学校の先生が、「高嶋は相撲取りの四股名に出てくる難しい漢字だけはよく書ける」と褒めてくれたくらいで(笑)。まぁ私の話はさておき、杉山先輩の長い長い相撲実況生活の中で、いちばん印象に残った力士といえば、誰になりましょうか。
杉山)初代若乃花です。若乃花は晩年は豪快な呼び戻しで“土俵の鬼”と呼ばれるんですけど、若い頃は結構、下の者に負けてたんですよ。ところが上の者、横綱にも勝つんです。これが何より魅力的でしたね。
高嶋)あの一族の血筋というのは凄いものがありますね。
杉山)若貴のお父さん、貴ノ花が昭和40年に入門を志願したとき、お兄さん(※初代若乃花)が猛反対したというのは有名な話ですがね。体型的にいうと、あの一族は、ぜんぜん太れない体質なんです。
高嶋)息子の貴乃花関は大きくなりましたが。
杉山)無理して太ったんですよ。ですから、相撲をお辞めになったあと、別人のように痩せちゃった。お兄ちゃん(※二代目若乃花)も頑張ったけど、120キロがせいぜいで。ですから、花田一族は、強いけど太れないんです。
高嶋)なるほど…。変なこと訊きますけど、そもそも杉山さんは、相撲アナになりたかったんですか。それとも、たまたまなっちゃったんですか。
杉山)私は小倉生まれの小倉育ち、田舎者です。東京から流れてきたラジオの相撲中継に魅せられたのが、1937年、小学校1年の時。双葉山の全盛期ですよ。
まだ見ぬ双葉山、玉錦の雄姿、両国国技館の光景…。これらを語ってくれるアナウンサーという職業は素敵だなぁ、と思いましてね。
『玉錦のべんべんたる太鼓腹が波打っております!』なんて聴いてもね、小学生の私には「べんべんたる太鼓腹」なるものが、具体的にどういうものなのか、よくは分からないんだけれども(笑)、なんとなく伝わるものがあるじゃないですか。
高嶋)非常によく分かります。
そこまでは私の小学生時代とまったく一緒で(笑)。
いまの大相撲を観て感じることとはなんでしょう。
杉山)相撲を伝承文化として、どうやって次の時代に受け継いでいってくれてるかという
ところをしっかり見ています。つまり、大事なのは、“抑制の美“”抑えの美しさ”。
勝ってガッツポーズなんて、とんでもないと。
高嶋)というと、そのへんが最近はズレてきていると…。
杉山)そうですね。その点、白鵬、稀勢の里、高安なんかは立派です。
白鵬が63連勝、双葉山の69連勝という大記録に迫らんとしていた、6年前の九州場所二日目。当時、平幕の稀勢の里が、無敵の白鵬に勝ったんです。
ところがこの時、稀勢の里は、ガッツポーズのガの字も見せませんでした。握りこぶしさえつくらなかった… これは立派ですよ。
このときは白鵬のほうも、悔しさを隠し、淡々と土俵を下りました。
これぞ、大相撲の神髄ですよ。
杉山邦博さんとは)
■元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博さん(1930年生まれ 86歳)
1953年にNHKに入局、大相撲中継を担当。■貴ノ花(初代)が幕内初優勝を遂げた1975年春場所千秋楽の優勝決定戦や、貴ノ花が引退した1981年初場所7日目の貴ノ花不戦敗の実況放送で、思わず絶句。
「泣きの杉山、泣かせの杉山」と呼ばれ、誠実な実況ぶりが国民の涙を誘った。
とくに、「今日、貴ノ花関が引退です…」と声を詰まらせたシーンは語り草。■東京五輪、メキシコ五輪の実況も担当。
メキシコ五輪では、モンゴルのジグジドゥ・ムンフバトがレスリング重量級で銀メダルを獲得した様子を実況。彼は第69代横綱の白鵬の父親である。■“相撲の杉山”のイメージが強いが、福岡赴任時には西鉄の試合を数多く担当。
金田正一の剛速球、杉下茂のフォーク、稲尾和久の剛球を伝えてきた。
まさに実況界のレジェンドである。
6月14日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より