勝負は時の運。陸上の世界選手権、男子400メートルリレーの決勝が、まさにそれでした。日本は同種目で初の銅メダルを獲得。ウサイン・ボルトがレース中に故障というアクシデントがあったとはいえ、日本のバトンワークは目を見張るものがありました。特に、アンカーを予選のケンブリッジ飛鳥から、バックアップの藤光へ変更する決断が、今大会初の表彰台を引き寄せたと評判です。
一躍、時の人となった藤光は埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。浦和といえば、まっ先に思い浮かぶスポーツはサッカーでしょう。小学校ではサッカー少年。しかし、
「自分がいくら頑張っても勝てない。団体スポーツには向いていない」
と、早々とあきらめたそうです。中学で友人から誘われ、陸上をはじめたということです。ただし、日大時代までこれといった目を引く実績はありません。
頭角を現したのは、社会人になってから。
「世界大会に出場するようになり、よしっ、次はもっと頑張ろう。もっとやれる、という前向きな気持ちになれた」
と振り返っています。2013年12月。日本陸連はリレー種目強化のためのナショナルチームを発足しました。個人で短距離種目は、とても太刀打ちできない。それなら、チームで戦うリレーで勝機を見いだす。
世界のトップはやはりリレーよりも、個人を優先する。日本はその間隙をぬって、バトンワークなどで世界を目指すことになりました。それ以前にも日本は08年の北京オリンピックで銀メダルを獲得。昨年のリオデジャネイロオリンピックも銀メダルでした。とはいえ、藤光は補欠の扱いで出場はなし。今回も、同室の桐生とともに、練習には参加していましたが、おそらく出場はないだろうというムードでした。
ところが、決勝がスタートする6時間前、日本陸連短距離・苅部俊二コーチが決断を下します。3走と4走のバトンタッチで、タイムをロスした予選の走りを再検討し、アンカーのケンブリッジが本調子でないと判断。替わって藤光を抜てきすることに決めました。これが、大当たり。3走の桐生は、コーナーワークが抜群で、「それだけなら、金メダルも夢ではない」というスペシャリストです。
藤光はコーナーを抜けて直線へ入る技術が「ぼくの持ち味」。適材適所の起用でタイムを短縮。2020年の東京オリンピックで金メダルという目標は着実に実を結びつつあるようです。ケンブリッジ、サニブラウンもこれからの選手。練習と経験で、バトンワークもうまくなる。もちろん、9秒台もマークするでしょう。次の世界陸上は19年、カタールのドーハで開催。きっと金メダルの有力候補になっているはずです。
藤光も負けてはいません。東京では34歳になりますが、
「朝原(宣治)さんは36歳まで頑張った」
と自らを鼓舞します。金箔エステの常連で、ゴールドは自身のラッキーアイテムと自負している。レースへ臨む際は、金箔テープをつけたり、金粉を飲んだりとちょっと信じられないことを実践。今回のメダルには努力とお金もかかっているのです。
8月14日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」