ドイツ建国記念日記念!日本中になぜ“ドイツ村”?!
公開: 更新:
10月3日は、ドイツの建国記念日。ベルリンの壁が崩れ、1990年10月3日に東西ドイツが再統一したことを記念する、ドイツの祝日です。
ふと日本国内を見渡してみますと、やたらと「ドイツ」が溢れていることに気が付いていますでしょうか?!
最近の流行りは、南ドイツ・ミュンヘンのビールの祭典「オクトーバーフェスト」を、そのまんま日本各地に持ってきている。今月15日まで横浜で行われていますし、先月は日比谷や仙台でもありました。
かと思えば、クリスマス時期になると、クリスマスグッズやクリスマスフードの屋台がズラリと並ぶ「クリスマスマーケット」が、これまた本場ドイツさながら日本のあちこちに出現します。
これらは期間限定のイベントですが、ビックリするのは・・・年中ドイツを体験出来る「ドイツ村」なるものが日本各地にあるのです。オランダ村やスイス村、スペイン村などは、そう数はありません。ところが、「ドイツ村」とか「ドイツ〇〇」はやたらめったら多い。10ほどもあるのです!
一体なぜか?どんな施設で、ドイツっぽいのか否か?を調査してみました。
まず、東京から一番近いドイツ村は、千葉県袖ケ浦にある「東京ドイツ村」。千葉ですが、東京ドイツ村。東京アクアラインが開通した時にオープンした、ということで勢いで「東京」を付けてしまったのはご愛敬です。
「なぜドイツ村となっているのでしょうか」と訊ねたところ・・・「オーナーがドイツに行ったとき、袖ケ浦のこの丘陵地がドイツの田園とそっくりだったので、それをテーマパークとして再現した」とのこと。
確かに最初こそ、広大な敷地はゆるやかな芝生のカーブがドイツの田園とそっくりだったのですが・・・そこに、バラやコスモスなどの花、さらに秋に真っ赤な絨毯となる「コキア」を植えた。
さらには、ドイツではやっていないであろう秋の収穫体験「さつまいも掘り」「落花生掘り」も開催。また今月からは「ミカン狩り」もある。おいおい、ドイツっぽさはどこへいっちまったんだ?!など、優しく突っ込んであげてください。
しかし「ドイツ」にこだわらないこうした『花』『収穫体験』が喜ばれたのです。で、極め付きが冬の『イルミネーション』。“夜は暗くあるモノ”とするドイツ人とは、250万個の電球を使った光の芸術は、相容れないものですが、日本人には大ウケ。
“関東三大イルミネーション”の一つと呼ばれるようになって、ここ3年間、入場者数は年間100万人を突破、と右肩上がりに増えているのです。ドイツっぽさがなくても、ドイツ大使館からは“ドイツを名乗ることで宣伝してくれてありがとう”と、友好の証の「菩提樹」を植樹してもらったそうです。
やはり、ドイツの田園をモチーフにしているのが、群馬県前橋市にある「赤城(あかぎ)クローネンベルク」。群馬県人なら誰でも知っているドイツの田園を模した、農業のテーマパークです。
ドイツにほれ込んだ社長が関東で土地を探した結果、ピッタリだと見つけたのが、この土地。1994年オープンなので、多くのドイツ村の中で先輩格。当時は「赤城高原牧場 クローネンベルク ドイツ村」と言ったのですが、名前が長いと、今は短く「赤城クローネンベルク」となっています。
さすが先輩だけあって、ドイツの街並みを本格的に再現。特に評判がイイのは、職人がドイツで修行してきたという「手作りソーセージ」と本場のドイツビール。オープン当時から、ドイツの食へのこだわりは変えていないそうです。
実は去年一度、運営会社が破たんしているのですが、民事再生法で再建中。ファンが「クローネンベルク行ってきたけどやっぱり良かった」と、応援のブログがたくさん立ち上がっています。
というように、日本人社長が「ドイツの田園風景」に惚れこんで、日本にドイツのテーマパークを作り上げたというのが、一つのパターン。
そしてもう一つが、「ドイツと歴史的な関わりのある場所」がドイツ村を作っているパターンです。たとえば、四国八十八カ所の第一番目のお寺に程近い、徳島県鳴門市にある「ドイツ村公園」。
大正3年、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの租借地であった青島を攻撃し、およそ1,000人のドイツ兵を俘虜(ふりょ ※歴史的に捕虜のことを「俘虜」(ふりょ)と言っていた)として、鳴門市の収容所に送りました。
この収容所を管理していた日本人所長たちが、俘虜の人権を尊重して、所内に80軒の商店街、レストラン、印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室、公園、別荘、健康保険組合、郵便局までも認めた。
また、学習、講演、スポーツ、演劇など文化活動も盛んで、とりわけ音楽活動では、ベートーベン作曲「交響曲第九番」の日本初演の地となったことで知られています。
お接待の心が根付く地元では、ドイツ人たちを親しみを込めて「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景があたりまえのように見られた。
この人道的な管理方針から世界でも類を見ない“模範収容所”と評された歴史を展示しているのが、公園内にある「鳴門市ドイツ館」。
第九初演のエピソードが映像と音で楽しめる「第九シアター」ではドイツ兵の等身大ロボットによる第九の演奏も行われ、第九の演奏が始まると共に口ずさんだり、拍手喝采したりするお客さんが見受けられるそうです。
歴史的な関わりから出来たドイツ村の例をもう1カ所、垣花アナウンサーの故郷、宮古島の「うえのドイツ文化村」はご存知でしょうか。東京の上野とはアクセントが違いまして、「うえ」にアクセントがあります。
全ては1873年(明治6年)に起きた出来事から始まります。中国から太平洋に向かっていたドイツの商船が、台風で宮古島の沖で座礁。これを発見した“うえの村”の役人が、海岸でかがり火を焚いて、乗組員を励まし続け、小舟を漕いで乗組員8名を無事に救出。言葉が通じずコミュニケーションがうまく出来ない状況でしたが、遭難者たちを手厚く看護しました。
ところが船は無残な姿に変わり、再生不能。役人は首里の許可を待たずに独断で帆船を貸して、乗組員たちはおよそ1か月後、ドイツへと帰国しました。帰国後、船長から宮古島島民の博愛精神を聞いて感動したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が、宮古島に石碑を贈呈と言います。
この祖先の勇気ある偉業を称えるために、宮古島が1996年に作ったのが「うえのドイツ文化村」。ドイツに現存する古い立派な城を、許可をもらって見取り図をもとに原寸大で再現して建て、中を記念館として公開しています。
施設の自慢は、ドイツから様々な本物の美術品を購入して惜しげもなく展示していることで、なんと「ベルリンの壁」が置いてあるのです!まさか、宮古島でベルリンの壁が見られるとは?!
資金難にあえいだ旧東ドイツを助けられればと、壁が崩壊した翌年の90年、ベルリンの壁2基を購入。日本では4カ所が購入して、他は会社や個人で非公開だそうですが、宮古島では、しまいこんでしまうことなく、展示しています。ちなみに2000年、この施設を、沖縄サミットの時に元ドイツ首相のシュレーダーさんが訪れたそうで、その様子をビデオで上映もしています。
どうでしょうか、「ドイツの田舎好き」と「ドイツに歴史的関わり」が高じてドイツ村があちこちに出来ている、という背景がお分かりいただけたかと思います。
さすがに、テーマパークとしての「ドイツ村」はこれ以上増えないかもしれません。しかし、「ビール祭り」や「クリスマス市」などは文化の分かりやすさもあって、都市部で行われるドイツ関連のイベントは、さらに増えそうな勢いです。
10月3日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より
高嶋ひでたけのあさラジ!
FM93AM1242ニッポン放送 月~金 6:00~8:00