プロ野球FAが始まって25年 歴史に残る口説き文句とは?
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今週の木曜日から、プロ野球キャンプイン。そして今年、日本でフリーエージェント制度が導入されて25年なんです。これまで25年で、何人の選手が国内移籍したと思いますか?
FA宣言して国内チームに移籍したのは、のべ85人。FAが始まったのが1993年のオフから。FA移籍第1号は、てっきり落合選手だと思っていましたが落合さんよりも、数日宣言日が早かった、阪神からダイエーへ移籍した松永浩美選手が日本第1号。
1993年は、52人が権利を取得しましたが、FA宣言をしたのは、わずか5人。このうち宣言したものの、残留を決めたのが、槙原寛己さん。当時、巨人の監督だった長嶋さんが槇原さんの背番号と同じ17本のバラと、カスミソウの花束をもって家を訪ねたのは有名な話。この時、長嶋さんが言った口説き文句。
「奥さんにも力を貸してもらったもので、そのお礼も兼ねまして・・・」
この年、長嶋さんは中日からFA宣言した落合選手をこの言葉で口説いた。
「ウチの若い選手に、お前の生きざまをみせてほしい」。
また1996年、FA宣言した清原和博選手を巡り、阪神と争奪戦を繰り広げた時の長嶋さんの口説き文句がこちら。
「思いっきり、私の胸に飛び込んできてくれ」。
対して、この時阪神の吉田義男監督が清原選手に言った口説き文句。
「阪神の縦縞のユニホームを、横縞に変えるような気持ちがある」。
また1999年長嶋監督は、FA宣言した当時ダイエーの工藤公康さんの福岡市内にあった、自宅をアポなしで電撃訪問。巨人か中日かで揺れていた工藤さんに向けて、長嶋さんが言った口説き文句。
「ジャイアンツで、男の花道を飾ってくれ」。
長嶋さんと言えば、この人を忘れてはいけない。福岡ソフトバンクホークスの会長、王さん。王さんの口説き文句が、十二分に発揮されたのが、2010年。当時横浜に所属していた、内川選手がFA宣言をした時内川選手のFA宣言の時、手を挙げたのは、なんと、広島カープだった。
野球に詳しい方はご存知だと思いますが、12球団で唯一、過去25年で、FAで選手を獲得していないのが、広島カープなんです。川口投手、江藤選手を巨人に、そして金本選手、新井選手を阪神にFAで放出しても、育成にこだわり、決してFAで選手を獲らなかった広島が唯一手を挙げたのが、この時だけなんです。
当時の広島カープの監督、野村謙二郎さんは交渉の場で内川選手にこのセリフで口説いた。
「お前が必要だ。お前がチームを変えてくれ」
ちなみに野村監督と内川選手は同じ大分県の出身。同郷の大先輩からの一言に、内川選手は「感激というか、うれしい気がしています」とコメント。
こりゃまずい! と慌てたのがソフトバンク。1週間後、切り札、王会長が登場した。王さんが内川選手に言った口説き文句が、こちら。
「君自身のスタイルを変える必要はない。今の君を必要としている。移籍というより、地元(九州)に戻る気持ちで、来てほしい」
この言葉に内川選手は「歴史に残る偉大な方にお褒めいただき、野球をまじめにやってきてよかった」と感激。王会長は手ごたえを感じたようで、報道陣からの質問に「私の顔を見れば、わかるでしょう」と笑顔を見せた。
また王会長は、2015年、ソフトバンクの顔ともいうべき、松田宣浩選手がFA宣言をして大リーグの複数の球団から誘いがあった時、松田選手に直接電話をかけて残留交渉をした。その時の口説き文句がこちら。
「来年からも一緒にやるつもりで、俺はいるから」
松田選手は、王会長からの直接の電話に緊張。記者団に対して
「あの電話を受けて“会長、僕メジャー行きます”とは決して言えなかったよ」とコメントしています。
1月26日(木)高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より
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