いよいよ今日、冬季オリンピックの花形種目、「フィギュアスケート」、その男子シングル、ショートプログラムが行われます。
怪我から3か月ぶりの実戦復帰となる羽生結弦選手、団体戦の男子ショートプログラムで1位となり、好調をアピールした宇野昌磨選手、そして、フィギュア強豪国・ニッポンで3つしかない代表の椅子を勝ち取った第三の男が、田中刑事選手です。
まず、“刑事”という名前に衝撃を受けた方も多いと思いますが、職業の“刑事”という漢字を使うのは、かなり珍しい。阪神の藤川“球児”投手の“球児”が本名だと知った時に近い衝撃がありますが、名前の由来は、父親が「正義感強く育って欲しい」という思いから付けたそうで、それ故、本人は、
「悪いことに対して、人一倍抵抗感があります」
と語っています。今や友人のみならず、ファンからも“刑事”にちなんで、「デカ」の愛称で親しまれています。
田中選手は、1994年、岡山県倉敷市生まれ。日本代表として共に平昌オリンピックを戦う羽生結弦選手とは同級生です。7歳からフィギュアスケートを始め、小学4年の頃、長野県で行われた「全国有望新人発掘合宿」で羽生選手と出会います。お互いの実力を認め合い、すぐに打ち解けました。それから「けいじ」「ゆづ」と呼び合う仲。小学6年の時に田中選手の地元・倉敷市で行われた全国大会では、3位の羽生選手を抑えて田中選手が準優勝するなど、小中学生の頃は、田中選手が羽生選手の上に立つことも珍しくはありませんでした。
ところが、その後の羽生選手の活躍は、今更説明の必要が無いかも知れませんが、19歳で迎えた4年前の全日本選手権では、羽生選手が1位で田中選手は8位。さらに、ソチオリンピックで金メダリストとなり、親友の背中は遥か彼方へと霞みました。
田中選手は「今のままでは戦えない…」と更なる進化を誓い、この4年間は2種類の4回転ジャンプの習得と、かねてから定評のある表現面を更に磨くことに時間を費やしました。
それを陰でサポートしたのが、前回のソチ大会まで3大会連続でオリンピックに出場した高橋大輔さんです。共に、倉敷市で生まれ育ち、同じスケートクラブの出身。田中選手は、15歳の頃に、2010年バンクーバーオリンピックで銅メダルに輝いた高橋さんの勇姿を見て「自分もオリンピックに出たい」と思ったといいます。
田中選手が
「ずっと大ちゃんに憧れてきた」
と語れば、高橋さんは、
「僕に続くのは刑事しかいない」
と後輩に夢を託しました。
平昌オリンピックの切符を争う全日本選手権まで2週間に迫った去年12月上旬。深夜に及んだ田中選手の練習に高橋さんが付き合い、身ぶり手ぶりを交えて細かな動きを指導。田中選手の演技はより研ぎ澄まされて行きました。
そして迎えた全日本選手権。田中選手は、4年前の全日本選手権で1本も決まらなかった4回転ジャンプを4本とも着氷。さらに、高橋さん直伝の情熱的かつ繊細な表現力で、フリーの演技後は観客を総立ちにさせました。結果は準優勝、見事、代表の座を射止めたのです。
今週月曜に行われたフィギュアスケート団体の男子フリーでは、オリンピックの魔物にやられたのか、ジャンプでミスを連発して、最下位の5位に終わりました。中3日で迎える今日からの個人戦。田中“デカ”は、その魔物を逮捕して表彰台に上がることが出来るのか、この後の男子ショートプログラムに注目です。
2月16日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」