東アジアの安定期の終わりの始まり

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(6月22日放送)に外交評論家の宮家邦彦が出演。1953年の朝鮮戦争休戦協定によって生まれ、今日まで続いた東アジアの安定の枠組みを独自に命名した「1953年体制」について解説した。

「1953年体制」とは

「55年体制」というのは与党第1党が自由民主党、野党第1党は野党が占めていた体制であるが、「53年体制」は宮家邦彦氏オリジナルの言葉。これは一体どのような意味があるのか。

飯田)昨日の産経新聞のオピニオン欄に「World Watch」という宮家さんのコラムがありますが、ここにも『「1953年体制」終わりの始まり』という見出しで書かれていらっしゃいます。「53年体制」というものは?

宮家)1953年に朝鮮戦争は休戦協定を結びました。1950年に始まって、3年戦ったわけです。これは政治的、軍事的、経済的に大きな変化をもたらしました。当時のヨーロッパは冷戦で、熱戦ではなかったわけです。だけど、アジアにおいては朝鮮半島での熱戦があったけれど、休戦でこれが安定して、日本の経済復興がある。韓国では漢江の奇跡があり、中国の改革開放も安定したからできたわけです。だから53年にできた休戦協定が、東アジアの経済的な復興と繁栄の基礎だったのです。ところがいま何が起きているかというと、北朝鮮が核兵器を持っているかもしれない。しかもその問題を解決するときに戦争はできないという現実があるから、結果として米朝首脳会談ということになって、非常に中途半端な結論しか出ないということになります。

狂い始める「53年安定体制」

これからどうなるかというと、1953年にできたシステムが徐々に風化していく。もしくはトランプさんが壊し屋だから壊していく。すると、北朝鮮が核を持つ可能性が極めて強くなる。もしかしたら、在韓米軍を含めたアメリカの東アジア戦略が変わっていかざるを得ない。1953年に作った安定した世界は戻ってこないかもしれないのですよ。日本の安全保障もそれに依存してきたわけなので、53年体制が狂えば60年にできた日米安保条約のシステムでは足りなくなる可能性がある。特に北朝鮮が核兵器をミサイルに乗せられるということになれば、1980年代にヨーロッパで起きたことと同じことが起きるわけです。簡単に言うと、アメリカは同盟国を守るために自国を犠牲にしますか? という話です。核抑止力、そしていわゆる拡大抑止の問題が出て来るわけです。日本は中国の核兵器があったから問題はあるのだけれども、そのことを考えずに済んできた時代が53年体制です。

北朝鮮の核武装が既成事実化すれば日本はどう対処するのか

飯田)ドイツやヨーロッパで80年代に起こったことは、アメリカには届かないけれどヨーロッパには届く核ミサイルという話でした。それに対してドイツは核シェアリングをやりましたよね。

宮家)同じようなことが起こるかもしれない、ということです。日本やドイツは核武装をできない。それでどうやって抑止するのかという知恵のなかで、そういう形のシェアリングが1つの方法として出てくる。東アジアはどうなんですか? というのが1953年体制の終わりの始まりの最初の効果ということです。

飯田)非核三原則とかいうものもありますけれども……。

宮家)そういった良いところは維持しながら、どこまで変えるのかという議論がそろそろ始まるべきじゃないかと思います。

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