【ペットと一緒に vol.95】
今回は、筆者の愛犬との別れをめぐる不思議な体験談をご紹介します。
「ごめんね」と、天国の愛犬に言い続けていた日々が「ありがとう」に変わっていくまでのストーリーです。
都内に突如現れた使者とは?
筆者が8歳から20歳までをともに過ごした愛犬の最期を、今でもよく思い出します。
それは本当に不思議な体験でした。
友人と日比谷に演劇鑑賞に出かけていた筆者は、終演後に一面ガラス張りの2階の窓際の席で、友人と紅茶を飲んでいました。すると、喫茶店の外から視線を感じたのです。階下に目をやると、路上にレトリーバーほどの大きさの雑種の犬がいました。
「なんでこんな東京の真ん中、ビルのジャングルの中を、飼い主もいない犬がノーリードでひとりで歩いているんだろう。野犬のはずはないから、迷い犬かな?」などと思いを巡らしている筆者を、その犬は立ち止まってじーっと見つめ続けていたのです。
そこで、筆者はハッとしました。
「あ。この犬は、マイマイが旅立ったことを知らせに来たんだ!」と。
友人に「ちょっと、自宅に電話をかけてくるね」と、喫茶店を出て公衆電話へ。震える手でプッシュボタンを押し終わると、「あのね、さっき家に帰って来たらマイちゃんがね、マイちゃんが……」と、母の嗚咽が受話器の向こうから聞こえました。
「ごめんね、愛犬が死んじゃったから、今日は帰るね」と、友人に告げると駆け足で駅に。電車の中ではこらえきれずに溢れた涙を、何度もハンカチでぬぐいました。
なぜ、たったひとりで……
心臓病で肺水腫になり、残り数カ月という余命宣告を受けていた12歳の愛犬。寝たきりになり、獣医師に往診してもらっていた日々のなか、「最期はひとりにさせないようにしようね」と、筆者と母は約束をしていました。
それなのに、1カ月ぶり位にたまたま1時間だけ誰もいなくなった自宅で、愛犬は旅立ってしまったのでした。
愛犬を看取ると決めていたのに、それができなかったという後悔で筆者と母は打ちひしがれていました。愛犬も最期はひとりで心細かったに違いない。そう思うと、強い自責の念にかられていたのも思い出します。
とくに、学生だった私とは違って専業主婦だった母の落ち込みようは相当なものでした。自宅に引きこもり、ため息ばかりついて……。当時の様子を振り返れば、ペットロスに陥っていたと思います。
それから10年以上が経ち、ペットロス症候群の取材を重ねた筆者は、あの時は無理に母を元気づけようとしないほうがよかったのだと知りました。
「看取ってあげられなくて残念だったね」、「いなくなってしまって悲しいね」などと、共感しあえる者同士で語り合い、思い切り泣けばよかったのだと。
愛するものと死別したときに生じる悲しみからの回復は、衝撃期、悲痛期、回復期、再生期の4つの過程をたどると心理学的に考えられているそうです。
それぞれの過程で起こる感情をありのままに表現できると、愛するものとの別れを乗り越えられると言われています。
ところが当時はそのような知識もなく、自分の感情と向き合ったり、周囲に自分の感情を吐露したりする作業をおろそかにした筆者と母は、いつまでも愛犬との死別を乗り越えられないでいました。
「ごめんね」から「ありがとう」へ
長い時間を経て、どうにか立ち直った筆者と母でしたが、看取ってあげられなかったことに対しては、ずっと胸が苦しくなるような思いを抱えたままでいました。
そんなある日、ふとしたことで転機が訪れました。
筆者が取材で出会ったアニマル・コミュニケーターにマイマイのことを話したところ、「愛犬は家族が外出する機会を待っていたと言っているわ。自分が旅立つ瞬間に立ち会ったら、お母さまでもあなたでも半狂乱になるはず。そんな姿はつらすぎて見ていられないから、独りで心穏やかに旅立ちたかったんですって」と、死後の愛犬の思いを代弁してくれたのです。
それを母に伝えると、「ほんとうに、そのとおりね。最期までマイちゃんはやさしい子だったのね」と涙を流していました。とても穏やかな表情で、何度もうなずきながら。
独りで旅立ってしまったけれど、きっとマイマイは別れのあいさつを、日比谷で筆者を見上げた犬に託したのだと思わずにはいられません。
ときどき目に浮かぶあのときの雑種犬の表情からは、「ありがとう。今まですごくかわいがってくれて」と、マイマイが言っているように思えてきます。
「こちらこそ、マイマイがいてくれて本当に楽しくてしあわせだったよ。ありがとう」。
夜空を仰ぎながら、筆者もそれからはよく、かつての愛犬にこう語りかけています。
連載情報
ペットと一緒に
ペットにまつわる様々な雑学やエピソードを紹介していきます!
著者:臼井京音
ドッグライターとして20年以上、日本や世界の犬事情を取材。小学生時代からの愛読誌『愛犬の友』をはじめ、新聞、週刊誌、書籍、ペット専門誌、Web媒体等で執筆活動を行う。30歳を過ぎてオーストラリアで犬の行動カウンセリングを学び、2007~2017年まで東京都中央区で「犬の幼稚園Urban Paws」も運営。主な著書は『室内犬の気持ちがわかる本』、タイの小島の犬のモノクロ写真集『うみいぬ』。かつてはヨークシャー・テリア、現在はノーリッチ・テリア2頭と暮らす。東京都中央区の動物との共生推進員。