竹中直人が大学時代に撮った自主映画『燃えよタマゴン』
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、俳優の竹中直人が出演。役者になろうと思うまでの経緯について語った。
黒木)今週のゲストは俳優の竹中直人さんです。俳優でいらっしゃいますが、映画監督をなさったり、マルチな才能で活躍をされています。竹中さんのコメディーセンスはどこから生まれて来たのでしょうか?
竹中)人を見ているのが好きなのですよ、電車のなかとか面白くて。
黒木)子どものときからですか?
竹中)子どものときからです。先生を観察するのが好きでしたね。僕たちの時代は個性的な先生がたくさんいましたし。電車のなかでも酔っ払いのおじさんとか、楽しい観察力を与えてくれる人がいました。
黒木)それはいまも変わらないのですか?
竹中)つまずいてしまった人が、つまずいた後に「キョロキョロ」とする感じとか。大勢の人がいるのにとぼける感じとか、無防備になっている人を見るのが好きでしたね。
黒木)そのような観察力が、竹中さんのコメディーセンスを磨いて行ったということなのでしょうか。
竹中)そうなのですかね。普通はつまらないという感覚が自分のなかにあって、「変」という言葉が好きでしたよね。「なんだこれ?!」というのが。
黒木)好奇心が旺盛で。
竹中)それほど物事を探求するようなことはないのですが、修学旅行に行って、観光コースを回るのが苦手でしたもん。皆と違うところに行きたくなるのですよ。観光コースに行っても人がいっぱいいるだけでつまらないから。自分はこっちの道を行ってみようって、迷子になる感じが好きでした。
黒木)実際行かれたのですか。
竹中)修学旅行のときは、そういうことが好きなやつが3人くらい居たので、いつも外れたところに行っていました。路地から路地を巡って、迷子になっちゃって集合時間に間に合わない。それが楽しかったですね。
黒木)変なことが好きって面白いですね。まともじゃダメなのかしら。
竹中)ひねくれているのですけれど。
黒木)ちょっと人生楽しんでると言うか。
竹中)いや、コンプレックスの塊だから意外に楽しめていないかもしれないけれど。
黒木)またコンプレックスという言葉が出て来ましたね。コンプレックスの塊なのですか?
竹中)塊でしたよ。家で1人で絵を描いているのが好きでした。小学生のときは漫画家になりたいと思っていました。手塚治虫さんや水木しげるさんに憧れて。中学高校は美術部で、それでまあ美大に行きたいなあと思って、高校3年生のときに突然思い立って芸大を受けるのですけれど、2浪しちゃって。父親には「2浪までだぞ」と言われていたのですが、2浪のときに多摩美に受かったので、多摩美のグラフィックデザイン科に行かせていただいたのです。
黒木)じゃあそこから役者の道に。
竹中)そうです。大学1年生のときに、映像演出研究会という8ミリ映画を撮るクラブに入りました。
黒木)漫画家になりたいのに、なぜ映像演出研究会に入られたのですか?
竹中)映像演出研究会に入ったのが大学1年、2浪しているから20歳のときですけれど、自分が監督・脚本・主演でブルース・リーの『燃えよドラゴン』が大好きだったので、多摩美だから『燃えよタマゴン』というものを作るのですよ。それでもう映画の世界に憧れちゃって。
黒木)燃えよタマゴン。
竹中)その当時は髪の毛がいっぱいあったので、もうブルース・リーになりきって作りました。8ミリの短い25分くらいの短編映画ですけれど。
黒木)自分で書いて、演出して、出演して。
竹中)それで目覚めちゃって。
黒木)はまっちゃった。
竹中)それで大学を卒業するまでに4本映画を撮りました。
黒木)その頃の映像は残っているのですか?
竹中)いや、僕たちの時代は、そういう欲があるやつがいなくて。1本映画を作ったら、「何かのコンペに出そう」と思うようなやつが誰1人いませんでした。学園祭で上映して、「やった! やった!」で終わり。その後、保管を誰がどうしているかもまったくわからない。どこにもないです。それがよかったのか、悪かったのか。
黒木)心のなかにあるのですね。
竹中)心のなかにはずっと残っていますけれどね。
黒木)じゃあ大学時代は4本撮られて、そのまま劇団にも入られて、それでどんどんメディアにも出て行ったということですね。
竹中)僕も本当にわからなかったのですが、皆が就職活動しているなかで、役者になりたい、映画の世界に行きたいと思って、基本を勉強しないといけないから、大学卒業して劇団青年座に入ったのですよね。
竹中直人/俳優■1956年・神奈川県横浜市出身。
■多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科在学中に、映像演出研究会に所属。
8ミリ映画の制作に没頭し、監督から出演まで広く活躍。
■1978年、大学在学中ながら劇団 「青年座」 に入団。
演劇活動を続けながら、1977年、『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」で
第18代チャンピオンに輝くと数々のバラエティ番組に出演。
NHK大河ドラマ「秀吉」では主演を務め、高視聴率を記録した。
■コメディアン・俳優として活躍する一方、1991年には「無能の人」で映画監督デビュー。
映画・ドラマ・舞台と幅広く活躍され、あふれる才能を発揮されている。
■2019年2月22日(金)には出演作『サムライマラソン』が公開予定。
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