宮家邦彦「中東和平はこれで死んだ」

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(1月31日放送)に外交評論家・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦が出演。パレスチナ情勢について解説した。

中東和平案を発表し、握手するイスラエルのネタニヤフ首相(左)とトランプ米大統領(アメリカ・ワシントン)=2020年1月28日 写真提供:時事通信

パレスチナの議長、安保理で演説へ

パレスチナのマンスール国連代表は29日、アメリカのトランプ大統領が発表したイスラエル寄りの内容の中東和平案について、パレスチナ自治政府のアッバス議長が2週間以内に国連安保理で演説を行うと明らかにした。アッバス議長はアメリカの和平案の受け入れを既に拒否している。

飯田)先日、イスラエルのネタニヤフ首相と2人でトランプさんが会見をしていました。東エルサレムを首都として認めるけれども、ヨルダン川西岸などにある入植地については認めろという内容でした。

宮家)とにかく、中東和平はこれで死にました。

飯田)死んだ。

宮家)そもそも1967年の戦争があって、西岸とガザをイスラエルが占領した。これはあくまで占領ですから、国際法上返さなくてはいけない。安保理決議242、338というものができて、占領地から撤退しなくてはいけないという国際的な義務がかかった。それにもかかわらずイスラエルは居座って、ようやく1978年にキャンプ・デービッド合意ができ、徐々に和平プロセスが動き始めた。その時代、いまから30年くらい前はまだ物事が動いていた時代です。しかし、トランプ政権は今回パレスチナに独立国家の建設を認めたとされていますが、そんなことは初めから決まっているのです。ところがトランプさんは二国家論というのですけれど、イスラエルとパレスチナの二つの国家を認める考え方をずっと肯定せず、いまごろようやく出して来て、しかも「パレスチナに独立国家を作ると言っているのだから、イスラエルの入植地をすべて認めろ」と言っているわけです。パレスチナからすれば踏んだり蹴ったりです。それには私もすごく同情します。だから国際法的に考えた場合には、今回のアメリカのやり方はあまりよくない。

イスラエル軍の攻撃を受けるガザ地区郊外、2009年1月(パレスチナ問題-Wikipediaより)

政治家には苦渋の選択をしなくてはならないときがある

宮家)しかし、トランプさんもトランプさんなのですが、パレスチナ人も頑張って欲しいと思っているのです。たしかにイスラエルに占領されてしまった。それが国際法上は違法だということはわかるのですけれど、パレスチナ人だって何百万人もいるわけです。そして、あそこに実際に人々が住んでいるのです。政治家には、国民全体の幸福なり将来のことを考えたときに、苦渋の選択をしなくてはならないときがあります。例えばイスラエルやエジプトだって犠牲を払いました。エジプトの大統領は苦渋の選択をした結果、イスラエルと平和条約を結ぶわけですよ。その後、サダトさんは暗殺されてしまいましたが、彼は命を懸けてエジプトとイスラエルの平和をつくったわけです。同じようなことがイスラエルのラビン首相にもあった。亡くなり方は少し違いますが、彼の死も暗殺には変わりない。

1978年のキャンプデービッド合意、左から、ベギン、カーター、サダト(アンワル・アッ=サーダート-Wikipediaより)

パレスチナが苦渋の選択を回避して来たことが今回の結果につながっている

宮家)誰かが死ななくてはいけないと言っているのではありませんが、パレスチナの歴代のリーダーたちが本当に命を懸けて、ラビン首相やサダトさんのような形で苦渋の選択をしたかと言うと、ちょっと厳しすぎるかもしれませんが、むしろ彼らは「逃げた」なと思うのです。もちろん、パレスチナがイスラエルと和平を結んだら大反発があるのだけれど、そうした大反発を乗り越えなかったら和平なんてできないわけです。その意味ではパレスチナがいままで、最後の苦渋の選択を回避して来たことも、事実上こういう形で和平プロセスが止まってしまった理由の1つだと私は思います。もちろんパレスチナの方に分があるのは間違いないのだけれども、パレスチナの指導部がもう少しうまく政治的に動いた方が、長い目で見たときにパレスチナ人全体の人々、もしくは大多数の人々にとっては幸せだったのではないかという気がしなくもないです。

和平合意に調印後握手をするラビンとアラファト(中央はビル・クリントン)(イツハク・ラビン-Wikipediaより)

90年代に合意が成立しなかったのもアラファト議長が腹を括らなかったため

飯田)90年代の真ん中から終わりくらいに中東和平が動いた時代、イスラエルにはラビン首相がいて、パレスチナ側はたしかアラファト議長だったと記憶しておりますが。

宮家)アラファトさんが腹を括らなかったのですよ。

飯田)あのときは、どういう合意が成立しそうになっていたのですか?

宮家)パレスチナの自治政府をつくって、自治を拡大して行こうというところでした。

飯田)いきなり独立ということではなく。

宮家)そのステップを上手く経ていれば、1つの出口が見えたのかもしれないけれど、それはパレスチナの大義から見れば、原理原則で考えたら、簡単には認められないですよね。

飯田)独立国ではないのになぜと。

宮家)しかも相当譲歩しないと、自治政府すら認められない。外交権や警察権はすべてイスラエルが持つなど、いろいろな条件が重なっていたから、受け入れられなかったのはわかるのだけれど。あのときに思い切ってやっていれば、いまパレスチナはもっと発展していたかもしれないのに、それが全部止まってしまったと言う人もいます。アラファトさんには厳しすぎる評価なのかもしれないけれども、あの当時は中東和平プロセスで日本も頑張っていたのです。だからこう思うのかもしれませんが、ラビンさんやサダトさんの悲劇を見ていると、「ここは命がけでやらないと物事は進まないのだ」と思っていたときに、本当にアラファトさんは命がけでやったのかな、という疑問がないでもないということです。

飯田)そういう歴史が絡まり合っているということを捉えないと。

2009年9月23日撮影(マフムード・アッバース-Wikipediaより)

中東情勢のこれまでの歴史を無視したかのようなトランプ大統領の行動

宮家)ええ。でも、トランプさんはそんなことをまったく無視したかのように、イスラエルの言うことを全部聞いたような提案を出したのですから、パレスチナ側が反発するのは当たり前です。アメリカがこんなことをやってしまったら、もう誰も中東和平問題で仲介できなくなってしまうから。

飯田)他に仲介できる国はないと。

宮家)「死んだ」と申し上げたのはそういう意味です。

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