大栄翔が大関以外に目指す“意外なもの”
公開: 更新:
話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、大相撲初場所で幕内初優勝を遂げた、大栄翔関にまつわるエピソードを取り上げる。
「嬉しさしかない。(賜杯が)あんなに重いものだとは思っていなかったので、ビックリした。言葉が見つからないくらい嬉しい」(大栄翔)
新型コロナ禍のなか、一部の部屋で集団感染が発生。本来は出場するはずだった横綱・白鵬も感染するなど、戦後最多となる19人の関取が休場した大相撲初場所(故障者・途中休場含む)。もう1人の横綱・鶴竜も腰痛のため4場所連続で休場。さらに、綱取りが懸かっていた大関・貴景勝も途中休場と寂しい場所となりましたが、そんななか、初日から快進撃を見せ国技館を沸かせたのが、平幕の大栄翔でした。
西前頭筆頭で迎えた今場所。前頭筆頭は序盤から役力士(小結以上)との対戦が組まれる厳しい位置です。ところが大栄翔は、得意の「突き押し」を武器に、初日に朝乃山を破ると、2日目に貴景勝、3日目に正代と3大関を撃破。
連勝街道はまだまだ続きます。4日目は御嶽海、5日目は高安と小結2人を破ると、6日目は照ノ富士、7日目は隆の勝と両関脇も破り、何と「役力士7人全員に勝利」という快挙を達成しました。八角理事長も「ヒーロー、救世主」と、大栄翔を讃えました。
8日目も輝に勝って土つかずで勝ち越し。この時点で1敗力士が消え、大関・正代ら2敗勢とは星2つの差がついていました。しかも上位陣との対戦は済んでおり、残り7日間は平幕との対戦。さすがに優勝を意識しなかったと言えば嘘になるでしょう。
初優勝へのプレッシャーがかかったのか、9日目、宝富士に初黒星を喫すると、11日目には阿武咲に敗れ2敗に転落。正代に並ばれてしまいました。この流れだと、優勝経験のある正代が逆転優勝……となりそうなところ、大栄翔は踏ん張ります。12日目、13日目と白星を重ね、14日目は実力者・玉鷲と対戦します。
大栄翔は立ち合いから激しく突き放し、玉鷲を土俵際まで押し込むと、そこから相手が前に出て来たところを、はたき込んで勝利。持ち前の積極性がいかんなく発揮され、冷静な判断も光った勝利でした。一方、正代は照ノ富士に敗れ3敗に後退。これで再び単独トップに立った大栄翔は、千秋楽に勝てば優勝というがぜん有利な状況になりました。
あとは、目の前の一番に集中するのみ。千秋楽、隠岐の海を強烈なノド輪攻めで突き出し、みごと初優勝を決めた大栄翔。同時に3度目の殊勲賞と初の技能賞も手にしました。
勝ち名乗りを受けて花道に引き揚げて来た大栄翔を待っていたのは、師匠の追手風親方(元前頭・大翔山)でした。実は、追手風部屋にとってもこれが初の賜杯獲得だったのです。「(師匠に)『おめでとう』と言われて、嬉しかった」と喜びを噛みしめた大栄翔。埼玉県出身の力士では初の幕内制覇でもありました。
大栄翔は埼玉県朝霞市で生まれ、相撲の名門・埼玉栄高校に進み、埼玉に部屋を構える追手風部屋に入門した「埼玉ひとすじ」の力士です。埼玉栄高校時代、大栄翔がレギュラーの座をつかんだのは3年生になってからでした。2年生までは補欠扱いで、ちゃんこ番だったそうです。それでも腐らずに、毎日柱に向かってテッポウを繰り返したことが、いまの突き押しの原点になっています。
母校愛の強い大栄翔は、大相撲入りしてからもちょくちょく母校の相撲部を訪ね、専任トレーナーの指導を受けたり、恩師・山田監督からアドバイスをもらっていました。大関・貴景勝は3学年下で在学期間はかぶっていませんが、大栄翔がよく母校に顔を出していたため当時から面識があり、大栄翔は大関から兄のように慕われています。
かわいがっていた後輩が大関に昇進したことは嬉しい反面、抜かれてしまった悔しさもありました。その悔しさを、愚直に稽古にぶつけた大栄翔。新型コロナの影響で、初場所はどの部屋も「出稽古」を自粛することになりました。関取が数人しかいない部屋は、対戦相手も限られ、満足な稽古ができなかった力士も多かったようです。
ところが追手風部屋は、大栄翔以外にも遠藤・翔猿と幕内力士が3人。十両力士も3人います。それぞれ相撲の取り口も体型も違うため、出稽古をしなくてもさまざまなバリエーションで稽古ができたことも大栄翔にとっては幸いしました。ちなみに初場所は剣翔が十両優勝を果たし、追手風部屋は幕内・十両ダブル制覇を果たしています。
稽古を重ね、得意の突き押しを磨き上げて初の賜杯を勝ち取った大栄翔。三役に返り咲く3月場所は、今回苦杯をなめた上位陣も研究して来るでしょうが、3月場所で2ケタ勝てば、5月場所では大関獲りも見えて来ます。もちろんそれは近々に叶えたい大目標ですが、大栄翔にはもう1つ目指しているものがあります。それは「大学院卒業」。
大栄翔は昨年(2020年)4月、日本大学大学院に入学しました。日大出身・追手風親方の勧めによるもので、専攻は「ファミリービジネス」。同族企業の経営と事業継承の方法を学んでいます。相撲部屋はまさに同族経営。これからはちゃんとした経営感覚を持って運営して行かなければ、時代の波に取り残されてしまうという考えがあって、稽古の合間にリモートで授業を受けています。
順調なら来春にも卒業予定だそうで、将来、独立して部屋経営も見据えている大栄翔。その取り口のように、まっすぐ地道に、夢に向かって突き進みます。