熊本地震から5年~現地熊本における「今後の課題」
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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(4月14日放送)にRKK熊本放送報道部・徳本光太朗記者が出演。熊本地震から5年経った現地の様子について解説した。
熊本地震から5年~当時を振り返って
2016年4月14日21時26分、熊本地方を震源とする最大震度7の地震が発生した。その28時間後にも再び最大震度7の地震が発生。震度7の地震が連続して発生したのは観測史上初めてのことであり、加えて震度6弱以上の地震が7回起こったのも初めてだった。この熊本地震から5年、現地の様子はどうなっているのか。
飯田)あれから5年が経ったことになりますが、当時を振り返ってどのような思いがありますか?
徳本)「熊本地震は何度も揺れた地震だ」という印象があります。地震の発生以降、半年間で震度1以上の地震が4000回ありました。なかでも震度7が2回、6弱以上が7回、5弱以上だと数十回起きて、多くの人が家のなかに入れなかったり、怖くて帰れないという状況が続きました。それが原因で車中泊をする人が多く、エコノミークラス症候群を誘発したことが印象に残っています。
地震の回数が多く、報道では「余震」という言葉を使わなくなった
飯田)家が怖くて入れずに車中泊をして、大きな駐車場などでは車がずっと並んでいるというようなところも報道されていました。さまざまな教訓があったのではないでしょうか?
徳本)地震の回数が多かったということもあって、我々報道に携わる人間も「余震」という言葉をあまり使わなくなりました。前震から本震にかけて、より強い地震が来たということもあり、余震という言葉を使うと、どうしても「次により弱い地震が来る」というアナウンスになってしまう可能性があります。「同じような強い揺れが来る可能性があります」というような呼びかけをするようになりました。
飯田)その後も震度6弱など大きなものが数多くありました。取材をされているなかでも、「また来た」というような身の危険を感じることもあったのではないでしょうか?
徳本)常にヘルメットをかぶっていないと、我々取材をする側も恐怖で、住民の方々にインタビューをしている最中でも、一緒に避難するようなことが何度もありました。
飯田)車中泊についてエコノミークラス症候群などが問題になりましたが、放送でそのようなことに対しての呼びかけもされていましたか?
徳本)車中泊をされている方には、ラジオを聴いている方も多くいらっしゃいました。県の方からは体操をすることをすすめられていました。我々RKKラジオでも、番組の合間に3分ほど時間を取って、座ったままできる体操などを呼びかけました。一方では、自治体から保健師を派遣して、避難されている車を1台1台回り、体調の変化などを聞いていました。
天守閣が完全復旧した熊本城
飯田)そして5年が経ちました。14日の東京の朝刊でも特集記事が組まれていますが、現地をご覧になっていて、復興の進み具合はどう感じられますか?
徳本)目に見える復興は、ずいぶんと進みました。熊本の象徴でもある熊本城も天守閣が完全復旧して、4月26日から内部公開ができるようになりました。熊本城自体は20年近くかかると言われていて、まずは天守閣から復旧させようという県民の希望もあり、観光の目玉として、その工事がようやく終わったというところです。
飯田)石垣の修復はやはり時間がかかるのですね。
徳本)そうですね。いま見ても、やぐらによっては、まだ1本で支えられているようなものも残ったままです。
寸断された国道57号線も2020年に復旧
飯田)それ以外にも熊本県内各地でさまざまな被害がありました。阿蘇の方では道路が寸断されましたが、これも復旧していますか?
徳本)熊本市内方面と阿蘇方面を結ぶ国道57号線という大動脈があるのですが、土砂崩れで被害を受けてルートが途切れていました。これが地震から4年が経った2020年になって、ようやく復旧して阿蘇方面にも賑わいが戻って来ました。
飯田)あのときは国道が使えないので、山の方を迂回して、みんな時間をかけて行っていましたよね。
徳本)緊急車両もすべて迂回しなければならず、大渋滞が起きていました。
移転対象になるも移転せずに再建した集落も
飯田)阿蘇大橋も新たなものが架かり、インフラが整って来ると、続いては生活面ということになりますか?
徳本)気になるのは熊本の地域経済についてです。震源だった益城町の隣に、西原村という人口が6000人程のわりと大きな村があります。そこでは壊滅的な被害が出ていて、集落によっては集落移転の話が持ち上がりました。30人~100人程度の集落でその対象となるものが6集落ありました。しかし、住民の方々から、「同じ場所で再建したい、集落移転はしたくない」という話が多く出たことから、2年半近く協議を続けて、集落再生工事をすることが決まりました。その工事が始まったのが、いまから2年半ほど前です。ようやくその工事が3月に終わって生活の再建が始まったという地区があります。
避難場所で再建し、戻らない人も
飯田)東日本大震災のときの被災地でも問題になりましたが、時間がかかればかかるほど、避難先で新たな生活を確立した人が戻って来ないという問題が出ていますよね。
徳本)私が取材している古閑地区というところがあるのですが、そこも約半分の方々が戻って来てはいるのですけれど、残りの方はこの5年の間に別の場所で再建されています。
飯田)西原村や益城町では大変な被害があって、その教訓をどのように生かすかというのはまた難しい問題ですよね。
徳本)そうですね。いまお話にあった益城町に関しては、いわゆるメインストリートが片側1車線の道路だったのですが、災害に強い街をつくろうということで、4車線化する工事がいま進められています。ただ一方で、この工事が決まるまでの間に家を建ててしまった人や、納得がいかない人も多くいて、4車線化に関する問題はまだ完全には解決していないという状態です。
風化させずに災害への備えをすることが重要
飯田)お住まいの方々の震災や防災の意識は、やはり変わって来ていますか?
徳本)熊本市がアンケートを取っているのですが、9割近くの方が「復興を感じている」と言っているのですけれど、一方で風化を懸念する声もあります。そのようななかで熊本市と各自治体は防災倉庫の整備や、車中泊に備えた準備などを行い、行政側も住民側も意識が高まって来ているところはあります。
飯田)2020年にもこうして同じように徳本さんと放送でお話しさせていただいたのは、豪雨のときでした。そのように、災害への備えとして備蓄を整備するなど、教訓を生かしているということですね。
徳本)目に見える形の復興は進んでいるのですが、風化するところもあり、これからの備えがより重要になると思います。
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