ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(4月15日放送)に熊本市の大西市長が電話出演。発生から5年が経過した熊本地震について訊いた。
熊本地震から5年~政府、「引き続き復興に全力で取り組む」と表明
熊本地震の最初の地震、「前震」から5年となった4月14日、総理官邸のホームページには菅総理大臣の言葉で「政府として引き続き被災された方々に寄り添いながら、復興に全力で取り組んでまいります」とのメッセージを掲載した。また加藤官房長官も「切れ目のない支援を行っていきたい」と発言している。
飯田)熊本県庁でも式典が開かれるというようなことがありましたが、熊本市ではこれまでの5年間、どのようなことを優先的に取り組んだのか、何を学び、活かしているのか。熊本市の大西一史市長に伺いました。
被災した人の「生活再建」を最優先に
大西)多くの皆さんが住まいをなくされたり、仮設住宅などに入られました。大体13万世帯くらいの方に「り災証明書」を発行していますから、13万の家に何らかの被害があったわけです。「生活再建を最優先にする」ということをこの5年間、最大限に取り組んで来ました。あとは、過去の震災の前例からも、仮設住宅などに入居した人たちが孤立するというようなことがありましたので、そのお1人お1人に寄り添うということをやって来ました。
飯田)車中泊の方々が非常に多くて、この方々に対しての健康面のケアについても取りざたされましたが、どのような対応をされましたか?
大西)皆さん避難所に行かれるものだと思っていたので、車中泊は想定していませんでした。指定避難所に行っても、満杯で入れないという方もいらっしゃったと思いますが、余震が多く、何十回と大きな地震で揺れていましたので、皆さん恐怖で避難所を出て、スーパーマーケットの駐車場や学校のグラウンドなどに車を停めて過ごされていました。そのときにエコノミークラス症候群になり、その関連死の方がかなりいらっしゃるのですが、その対策がとても困難でした。それから車中泊の方は移動されますので、物資をお渡しするにしても連絡を取ることが難しかったですね。
指定都市でも直接災害対策を行えるようになった
飯田)当時から進化した仕組みもあると思います。どういうところを教訓として市長は考えられますか?
大西)災害救助の権限が、それまでは都道府県知事にしかなかったので、なかなか簡単には行かないような状況でしたが、いまは法律が改正されて、要件を満たした指定都市は直接災害対策を行うことができるようになりました。機動力を高めるという意味では、ここが進化したのだと思います。
デジタルの進歩とSNSでの情報はその一次情報も確認する
大西)あとは行政のデジタル化が進みました。例えば災害時は避難所への物資について、どこで何が足りないかということが、クラウドなどのシステムを使って管理することが徐々にできるようになっています。それからSNSですね。スマートフォンが普及したことによって、個人の皆さんへの情報提供、または個人の皆さんから情報をいただくということができます。
飯田)市長はツイッターなどを使って、きめ細かく情報発信されていたと思います。一部には動物園から動物が逃げ出したなど、デマもあったなかで、どういう情報提供を心掛けられましたか? またこの先も含めて、そのときの教訓はありますか?
大西)1回発信した情報は拡散されて行きますので、間違った情報を出さないように確認をするということと、デマも流れますから、皆さんには、それが一次情報かどうかということを確認していただくということです。いろいろなメディアをクロスしていただくことが大事です。例えばSNSを見ながらラジオでその情報を確認していただくなど、いろいろなチャンネルを持って確認することをお願いしたいと思います。
新型コロナウイルスの対応に活かされている熊本地震の経験
飯田)いまは新型コロナウイルスの対応もあると思います。当時の経験が活きている部分はありますか?
大西)できるだけ最悪の事態を想定しながら対応を取って行くことが重要だと思います。早め早めに保健所の体制を整え、楽観視をしないということが大事だと思います。新型コロナでも早めの対応が取れ、各部署との連携や市民の皆さんへの情報発信ができたのも、当時の教訓が活かされていたからではないでしょうか。
飲食店などへの支援金などの対応
飯田)2020年のいまごろを思い返すと、全国に緊急事態宣言が発令された。そこで熊本市は、飲食店を含めて生業を支援するということで、独自に支援金を出しました。かなり前から、「こういうことがあるかも知れない」ということで準備されていたのですか?
大西)まず県と協調して、お金の心配はいらないという状態をつくりました。制度要旨を早めに行うということで、3月の時点で決断をしました。「3年間無利子で、熊本市が負担する」ということをやりました。それから飲食店も含め、家賃支援についても国より先にやれたのは、熊本地震のときから、ある程度頭のなかでシミュレーションしていましたので、それが役に立ったのだと思います。
飯田)なるほど。
大西)役所のスタッフもそういうことを機動的に決断できるようになりました。昔であれば、いろいろと言う人がいたと思いますが、「わかりました」と即座にやるような体制になったというのは、熊本地震での厳しい局面を乗り越えたからだと思います。
簡単に復興って言うなよな、言えないな
飯田)16日から「くまもと復興映画祭」が行われます。その会見のなかで、市長が「この5年を振り返って、簡単に復興なんて言うなよな、言えないなと思います」と答えていらっしゃいました。この5年間を一言で振り返るのは難しいと思いますが、どういうお気持ちでこのときは言葉を発せられたのですか?
大西)皆さん物理的なものは戻っても、心の復興や、地震の前の自分の状態を取り戻すということは簡単ではないし、戻らないこともたくさんあります。「5年の節目です」と我々はよく言いがちですが、まだまだ厳しい人たちが大勢いらっしゃって、そういう人たちのことを考えると、「簡単に復興って言うなよな、言えないな」と思ったということですね。
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