ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(8月10日放送)にジャーナリストの末延吉正が出演。76年目を迎えた長崎の原爆投下について解説した。
長崎、原爆投下から76年
長崎は8月9日、アメリカによる原子爆弾が投下されてから76年目を迎えた。平和祈念式典で長崎市の田上市長は、新たな核兵器禁止条約をもとに前進するよう国際社会に呼びかけた。
飯田)新型コロナの影響で規模を縮小しての式典でしたが、菅総理の他、63ヵ国の代表も参加したということです。
広島では読み飛ばしをし、長崎には到着が遅れた菅総理
末延)菅総理は広島で、「唯一の戦争被爆国」といういちばん大事なところを1ページぶん読み飛ばした。気持ちが入っていなかったのではないかという指摘があるのですが、長崎にも到着が1分遅れたということです。これは形式のようにしてはいけないのです。
飯田)気持ちが入っていなかったのではないかと。
末延)実際、日本の周りには核保有国があって、アメリカとの同盟関係、核抑止力のなかで日本の安全が保たれていることは事実なのだけれども、同時に、被爆の問題がどれだけ酷いかということを、もう少し形式主義ではなく、実をどうやってあげるのか、相矛盾するのだけれども、もう1歩踏み出して行く努力をしなくてはならない。少なくとも、祈りを捧げるときの総理大臣の挨拶は、心がこもっているということが関係者に伝わり、世界にメッセージとして出るように、強く祈るような想いを示して欲しいです。今回はそこが物足りないというか、残念です。「日にちが来たから行く」ということではないのです。
飯田)年中行事のように。
「核兵器禁止条約」に日本も参加できないのかを国民的な議論にするべき
末延)長崎に関して言えば、広島の「黒い雨」に関する対象者拡大の話にも触れなかったし、政府が「1歩踏み出して何かやろう」としている感じはまったくありませんでした。いまの政府を見ていると、コロナの件で目一杯で、それも十分にできないくらいだから、余力がないというのが現実なのでしょう。しかし、政治に関わる人たちやメディアもそうだけれど、被爆の問題を日本が形式ではなく、実際に核兵器禁止条約を広げて行き、「日本もそこに参加できないのか」ということを国民的に議論するべきです。このまま行くと風化してしまいます。
核に対する政治のレベルと現場の草の根の間の溝が埋まらない
飯田)どうやって記憶をつなぐかということで、広島の原爆資料館も展示を変え、どうすれば追体験ができるのかということを必死に模索しているところもあります。そのような努力は現場レベルではやっていることですけれども、もっと後押ししなくてはいけないということですか?
末延)結局、現実の抑止論に立つ政治のレベルと、現場の草の根の部分、被爆を受けての救済やアピールという間の溝が埋まらないまま、戦後ずっと来ているのです。
飯田)両方大事なのですよね。
末延)両方をどうやって詰めて行くか、具体的に話さなくてはいけないのだけれども、誰も話さないではないですか。8月15日の終戦記念日もそうです。ワンパターンなことを言って、お互いにリアルな問題として捉えていない。特に菅総理からは、気持ちが伝わって来ないというのが長崎の式典の中継を見ていて、改めて残念に感じました。
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