「華のある政治家だった」石原慎太郎さん

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(2月2日放送)にジャーナリストの佐々木俊尚が出演。2月1日に亡くなった石原慎太郎氏について解説した。

「華のある政治家だった」石原慎太郎さん

記者会見に臨む、石原慎太郎元都知事=2017年3月3日 東京・内幸町の日本記者クラブ 写真提供:産経新聞社

石原慎太郎さん、89歳で死去

東京都知事や運輸大臣、旧日本維新の会共同代表などを務めた作家の石原慎太郎さんが2月1日、東京都内の自宅で亡くなった。89歳だった。葬儀は近親者のみで行い、追って「お別れの会」を執り行う予定である。

飯田)まずは在りし日の石原慎太郎さんが生前最後のメディア出演となりました、ニッポン放送の番組に出演した際の様子をお送りいたします。去年(2021年)のお正月、1月2日放送の『石原慎太郎・亀井静香 新春 甘辛放談』で、当時の菅政権について語る石原慎太郎さんです。

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石原慎太郎さん)華がないね、まったく。華がない。そりゃあ華ばかりあっても困るのだけれどね、とにかく菅くん1人の責任ではないけれども、菅を頂点に支えているいまの自民党の政治家たちというのは、一貫して強い信念みたいなものがないな。一国のリーダーになるには、人の持ちえない発想力というものを発揮しなかったら不幸ですよ。仲間である人間たちを救う仕事はできないと思うな。

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飯田)石原さんの「慎太郎節」ですね。

佐々木)菅さんを「華がない」と批判していますけれど、確かに石原慎太郎と言ったら、実に華のある政治家でしたね。よくも悪くもね。

飯田)この声だけを聴いても、その姿が思い出されます。

東日本大震災のがれき広域処理、ディーゼル規制、尖閣購入

佐々木)そうですよね。いいことはたくさんやっています。東日本大震災での震災がれき受け入れ問題で、「『黙れ』と言えばいい」と一喝して、がれき広域処理に名乗りを上げましたが、あのときは拍手喝采を送りました。

飯田)放射能汚染に関して、測った上で何でもないから持って来るのだ、と。

佐々木)ドイツが最近、ディーゼル車規制を始めて話題になりましたが、都知事時代の2003年に、いち早くディーゼル車規制を東京都でやりました。東京の街の空気を綺麗にしたと言われています。素晴らしい政策だったと思います。

飯田)そうですね。

佐々木)他にも都知事時代の政策として、有名なのは尖閣を……。

飯田)都有地に。

佐々木)都有地化しようとして、その後、国有化されましたが、これが決定的に中国との断絶につながったと言われています。よかったのか悪かったのかは、もう少し時間が経って歴史的事実となってから解明される話だと思います。しかし、よくも悪くも石原都知事らしい、政治行動力だったという感じがします。

飯田)あの当時は私有地だったので、「都が買おうではないか」と。

佐々木)中国側からすれば、放っておいて我々が触れないようにしようと言っていたところを、なぜわざわざ日本側から行動を起こすのだ、という苛立ちは相当あったようです。

1999年4月、初登庁で花束を受け取り手を振る石原慎太郎知事=東京都庁 写真提供:共同通信社

1999年4月、初登庁で花束を受け取り手を振る石原慎太郎知事=東京都庁 写真提供:共同通信社

石原氏死去を「日本の極右妄言製造機が死亡」と伝えた韓国・聯合ニュース

佐々木)韓国からは相当嫌われていて、昨日(2月1日)の産経新聞に、韓国の聯合ニュースで石原氏の死去を「日本の極右妄言製造機が死亡」という見出しで報じたという記事が掲載されていました。「極右妄言製造機」というのはすごい言葉ですよね。聯合ニュースもこんな言葉を使うのかと思いましたが、何に怒っているかと言うと、慰安婦問題で日本にいる朝鮮人を強制した証拠はどこにありますか、というようなことを言っていますから。これが正しいか間違っているかは別として、韓国にとっては、ザワザワする発言だったと思います。

盛田昭夫氏との共著『「NO」と言える日本』がベストセラーに

佐々木)80年代に遡ると、ソニーの盛田さんと共著した『「NO」と言える日本』という大ベストセラーがありました。

飯田)盛田昭夫さんと。

佐々木)当時、日本は圧倒的に経済が強かったので。

飯田)『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の時代ですよね。

佐々木)半導体はいまや韓国や台湾に完全に取られていますけれども、半導体に関して日本が圧倒的に強かった時代です。「半導体をアメリカに売らないぞ、ソ連に売るぞと言ったら、アメリカは日本に従わざるを得ないのだ」というようなことを書いています。あの本はアメリカの政界とワシントンでとても読まれたという話があります。

飯田)こんなに極端になったのかと。

佐々木)「21世紀は日本の時代だ」というようなことを言われていたわけですが、いま振り返ると「何を言っているのだろう」という感じがします。あの時代ならではのことですね。石原さんも日本がここまで凋落するとは思っていなかったと思います。

飯田)1999年に都知事に出るというときも、「東京から日本を立て直すのだ」というような発言がありました。

『太陽の季節』で芥川賞受賞

飯田)作家よりも政治家としてのイメージが。

佐々木)1950年代に『太陽の季節』でデビューしたときは、「新しい作家が出て来た」ということで騒がれました。男性器を障子に突き立てる小説を書いていた人が、まさかこんな偉大な政治家になるなど、誰も想像していなかったのではないでしょうか。

飯田)謹んでご冥福をお祈りいたします。

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飯田浩司のOK! Cozy up!

FM93/AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

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