なぜ「ブダペスト覚書」はロシアに反故にされたのか
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ニッポン放送「新行市佳のOK! Cozy up!」(2月25日放送)に外交評論家で内閣官房参与の宮家邦彦が出演。「ブダペスト覚書」について解説した。
核兵器放棄を条件に安全保障を約束する ~ブダペスト覚書
「ブダペスト覚書」は、1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催され、欧州安全保障協力機構会議で署名された政治協定書のことを示す。ブダペスト覚書は、ソ連崩壊時に独立を勝ち獲ったウクライナに対し、核兵器放棄を条件に、アメリカ・イギリス・ロシアが安全保障を約束するものであった。しかし、ロシアのプーチン大統領は2014年3月、ウクライナ南部クリミア半島に侵攻。さらに、今回もウクライナに軍事侵攻するなど、ブダペスト覚書は反故にされている。
新行)関連して、ツイッターでもご意見をいただいています。“くろすけ”さんからです。「ブダペスト覚書なんてロシアが守るわけではないし、アメリカもイギリスも、核廃絶の実績にしただけです。日本も、自前の核武装を視野に入れて議論すべきではないでしょうか」ということです。
ウクライナの核兵器を放棄する代わりに、ロシアはウクライナに手を出さない
宮家)それも1つの考え方ではあると思います。ブダペスト覚書の話をすると、1990年前後からソ連がおかしくなって行くわけです。当時のウクライナは、核兵器を持つ軍事大国でした。例えば、中国が買った空母はウクライナ製ですよね。核拡散の問題もさることながら、西側諸国にはロシアに再びウクライナ等に手を出させない、つまり、ソ連が崩壊して多くの独立国家ができた流れを、絶対に「逆転させてはいけない」という気持ちもあって、ロシアとの妥協が成立したのです。
新行)この覚書に。
宮家)アメリカとロシアとイギリスが一緒になり、「ウクライナは核兵器を放棄します。その代わり、ロシアはウクライナに手を出しません」ということにした。これが当時の取引だったのです。
新行)ロシアはウクライナに手を出さないと。
宮家)私はそのとき、限定的ではあるけれども新しい方向性が出てきたな、ロシアは新しく生まれ変わるのかなという気がしました。当時、北米局にいたものですから、よく覚えています。しかし、1991年~1992年当時、実は在日米軍の人たちと、「ロシアはいつまで持つのだろうか」ということを話したことも事実です。またいつか「牙を剥く」のではないか、「ソ連が崩壊してロシアになったのはいいけれども、再び、昔の帝国の悪い癖が出て来るのではないか」という懸念が当時はあったのです。その意味でも、ブダペスト覚書は枠組みをつくり、核兵器の問題をうまく処理しながらロシアの拡大を止めようとする、賢いやり方だったとは思います。ただ、やはり「持たなかった」ということですね。
賢いやり方だったが、持たずにロシアに反故にされる
宮家)ブダペスト覚書は、ある程度長続きはしたものの、残念ながら反故にされてしまった。そしてウクライナは核兵器も失い、ロシアにやられていく、という流れになって行く。
新行)そうですね。
宮家)事態がさらに進んで、ロシアが隣のハンガリーやポーランドまで動いて行けば、相当な地殻変動が欧州で起きてしまいます。それを現実の問題として語らざるを得なくなって来た状況は、悲しい思いがします。
日本にとって対岸の火事ではない
新行)いろいろな意見が届いております。“やすださくら”さんから、ツイッターで「これを機会に日本は、まさに対岸の火事とは言えない。真剣に議論すべきだと思います」といただきました。
宮家)日本が核武装を考えるのは、まだ早いと思いますが、「この問題は決して対岸の火事ではない」という言葉は、おっしゃる通りです。我々が自身安全の問題として考えなければならないと思います。
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