それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
2022年、温泉で有名な静岡県熱海市に一軒の薬局がオープンしました。名前は「薬局123(いずさん)」です。大河ドラマで話題の源頼朝と北条政子が結ばれたとされる「伊豆山神社」のある、伊豆山地区に誕生した薬局です。
開いたのは、千葉久義さん・50歳。地元・伊豆山出身の千葉さんは、お祖母さまも薬剤師さんでした。自宅で薬局を営んでいたこともあり、小さいころからお祖母さまは地元の人たちから信頼され、その健康を気遣う様子を見て育ちました。
「自分も地域に寄り添う医療を担いたい。ゆくゆくは婆ちゃんのようになりたい!」
千葉さんも薬科大学に進学し、国家試験にも見事合格。薬局に勤務する薬剤師として、全国の調剤薬局を巡っていきました。35歳のとき、お嬢さんの誕生に合わせて熱海にUターン。そして1年前の7月3日、あの土石流災害の日を迎えました。
その日も千葉さんは、自宅から離れた場所にある熱海市内の薬局に勤務していました。すると、薬局スタッフの男性が青ざめた顔でスマートフォンの動画を見せてきたそうです。見せられたのは、茶色く濁った泥が大量に逢初川を駆け下る動画。千葉さんは思わず「何じゃこりゃ!」と叫びました。
家に戻ると、土石流は何とか我が家のほんの少し手前で止まってくれていました。しかし、断水していた水が出るようになった途端、家のなかが豪雨のようになりました。復旧した水道の水圧が強すぎて、自宅の水道管が破裂してしまったのです。当然、家財道具も使い物にならなくなり、避難生活を送ることになってしまいました。
水浸しになった千葉さんの自宅は、災害ボランティアの皆さんに手伝ってもらいながらようやくきれいになり、がらんと広いスペースが空いたことに気付きました。そこは、かつてお祖母さまが薬局を開いていた場所でした。
お祖母さま亡きあとも、お父様が「薬店」として引き継ぎましたが、およそ20年前に店を閉じ、物置のようになっていました。
気が付けば、伊豆山地区からは薬局や小さな病院はおろか、コンビニエンスストアもなくなっていました。地域の皆さんの高齢化も進む一方で、生活必需品を買い求めるにも、熱海駅のそばまで行かなくてはなりません。
駅から伊豆山までは、電車では1分ちょっとで通過してしまう距離ですが、高齢の方が坂の多い熱海の街を歩くとなると、ゆうに30分以上かかります。自分が生まれ育った地域が、土石流のために、さらに痛ましい姿になっていました。
「大手のお店が『商売にならない』と離れていった伊豆山で、やれるのは自分しかいない。婆ちゃんみたいに薬局をやるなら、いまではないのか?」
千葉さんは自分の薬局を開くことを決めました。場所はもちろん、お祖母さまが薬局をやっていたところです。まずは会社を立ち上げ、再び薬局として使えるように改装を始めました。体が辛いときもゆったりしてもらえるよう、海が見える相談スペースも設けました。
一方で、薬局として必要な保健所の許可や、厚生労働省による保険薬局の指定も取り、さまざまな検査も無事クリア。何とか、土石流災害からちょうど1年となる今年(2022年)7月3日、「薬局123」は無事オープンにこぎつけることができました。
薬局が開くと、地元の皆さんが少しずつ立ち寄ってくれるようになりました。特に高齢者の方からは「近くに薬局ができて嬉しい」という声が聞かれると言います。
いまでは薬に加え、買い物に難儀していた地元の皆さんの声に応えて、ティッシュペーパーやトイレットペーパー、紙おむつなどの大きくて重い商品も置いたり、配達も始めました。
「薬局123」の目の前を通る国道135号は、いまでも盛り土を運ぶダンプが行き交います。また、土石流が流れ下った逢初川の周辺は立ち入り禁止警戒区域となっていて、同じ伊豆山地区でも、国道より山の上の方にお住まいの皆さんとの行き来は、簡単にはできません。
「川沿いの道が通れるようになったら、もっと地元の皆さんのお役に立ちたいです」
そう話す千葉さんは、勤めていたときよりも心の充実が大きいと言います。地域に寄り添う「薬局123」は、小さな一歩を踏み出したばかりです。
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ