ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」では、SDGsの17個の目標のうち「住み続けられるまちづくりを」をテーマにしながら東日本大震災から12年となった福島県の町を取材。3月6日の放送では、富岡町の移住事業について、富岡町役場企画課の畠山侑也氏へのインタビューを含めてリポートした。
東日本大震災から12年 ~2023年春からは復興拠点での居住も可能な福島県富岡町
新行市佳アナウンサー)富岡町は、福島県浜通り地方の中央に位置する地域で、地震と津波、そして福島第一原発事故で全町避難を強いられました。そのあと、2017年4月に一部エリアで避難指示が解除され、2023年春には帰宅困難区域内にある復興拠点での居住も可能になる予定です。いままさにゼロからの町づくりに取り組んでいる地域の1つです。
飯田)この春から復興拠点での居住も可能になる。
新行)実際に町を歩いてみると、復興拠点の(避難指示)解除に向けて、準備宿泊やインフラ整備が進んでいます。住宅の解体が進んでいるところもあるのですが、例えば「富岡わんぱくパーク」という子どもが遊べる屋内の遊び場ができていたり、「さくらモールとみおか」というスーパーができ、学校・病院・認定こども園・高齢者施設などの整備・運用もあります。子どもからご高齢の方まで過ごせる環境が、徐々に整ってきていると実感しました。
居住者は2110人(3月1日時点) ~避難指示解除以降に戻ってきた人と、新たな移住者の割合は50%ずつ
新行)震災から12年が過ぎた現在の富岡町ですが、震災前の人口は約1万6000人。2023年現在の人口は1万1709人となっており、居住者は3月1日時点で2110人です。2017年4月の避難指示解除以降に富岡町に戻ってきた人と、新しく富岡町に移住された方の割合は、ほぼ半分半分ということです。当初は町に戻られる帰還者の方が多かったのですが、最近は移住してくる方の数が増えているということです。
町全体として移住を促進する ~新たな雇用を生み出すために企業誘致にも力を入れる
新行)今回の富岡町の取材では、移住・定住事業を担当されている富岡町役場企画課の畠山侑也さんにお話を伺いました。富岡町で移住事業が本格化したのは2022年度以降で、それまでは廃炉事業や除染事業に携わる方が多かったのですが、最近は新たなチャレンジで移住を検討する方が増えていることもあり、「町全体として移住を促進していこう」という方針になり始めました。現在、富岡町で進めている移住事業としては、移住を検討している人に向けたツアーや移住専門誌への情報の掲載、さらに町のPR動画作成など、さまざまな事業があります。
飯田)移住者を増やそうと。
新行)2017年4月の避難指示解除以降に整備された富岡産業団地を中心として、企業誘致にも力を入れています。新たな雇用を生み出すことで「移住しやすい環境づくり」を進め、移住者の増加につなげたいとしていました。富岡産業団地の整備からそれほど時間は経っていませんが、役場の方々が全国を回っていろいろな企業にアプローチを行い、この2年くらいで徐々に実を結んできている実感もあるそうです。今後の移住事業について、富岡町役場の畠山侑也さんが力を入れていきたいと話していたのは「新しい力」についてです。
正解がない移住事業
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畠山)お子さんがいらっしゃる方が避難先で学校に通ってしまうと、そこからこちらへ戻ってくることはハードルが高いのです。避難先で高校まで通った方だと、この辺りの高校は広野町の「ふたば未来学園」がいちばん近いのですが、そこまで行ってしまうと厳しいと言うか。
新行)広野町の「ふたば未来学園」まで行くことに。
畠山)おじいちゃんやおばあちゃんの病院が避難先にあるなど、さまざまな状況があります。移住事業は正解がないと思うのです。
新行)正解がない。
畠山)今年度やってみて厳しければ、また来年度に新しいことをやっていきますし、私たちも試行錯誤しながら、新しく入ってくる人と一緒に挑戦していく。長い戦いになると思うのですが、徐々に徐々に進めていくことが、いまできるベストな選択ではないかと思います。
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新行)畠山さんは、避難されている人のなかには、帰りたいけれど帰れない人もいれば、帰らないと決めている人もいる。ただ「帰りたい」と少しでも思っている人がいれば、そのきっかけをつくっていきたい。環境整備をしていきたいと話していました。
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