戦時中、制服も兼ねた「国民服」ってどんな格好だったの?
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あなたの朝がいつもイイ朝でありますように---ニッポン放送『羽田美智子のいってらっしゃい』。3月27日放送分のテーマは「学生服」です。
1879年(明治12年)、学習院で海軍式の制服を採用したのが、日本の学生服の始まりとされています。当時、学生服には学生同士での経済的な格差をなくしたり、学生としての意識を高めるなどの目的があったそうです。
その後、男子の制服は「詰襟型の上着」と「形や色が定められた帽子」の組み合わせが主流になりました。
一方、東京師範学校・女子部(現・お茶の水女子大学)では西洋風の服装……「洋装」を導入しましたが、着物に袴の「和装」を制服とする学校が多かったそうです。
大正時代中期になると、洋服の普及とともに「背広型」の制服が誕生しました。また、女子制服も和装から、西洋の水兵服である「セーラー服」にスカートを合わせた制服が増えていきました。
昭和になってからも学生服は広まりましたが、その後は戦争の色が濃くなるにつれて、物資不足から制服も規制されるようになります。男子は「国民服」と呼ばれる、軍服に似たカーキ色の上下の服が「標準服」として定められ、制服を兼ねるようになりました。
女子の「標準服」にはいくつか種類がありましたが、その1つが「防空着」であり、「もんぺ」と呼ばれる足首で絞ったズボンのような服となります。
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