小野伸二「デビュー10日間」の伝説 引退したサッカーの天才自ら認めた“ピーク時代”

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、J1最終節での“現役ラストマッチ”を終え、今シーズン限りで引退するサッカー元日本代表、小野伸二にまつわるエピソードを紹介する。

【サッカーJ1札幌対浦和 今季最終戦】前半 選手交代しベンチへ下がる札幌・小野伸二=2023年12月3日 札幌ドーム 写真提供:産経新聞社

【サッカーJ1札幌対浦和 今季最終戦】前半 選手交代しベンチへ下がる札幌・小野伸二=2023年12月3日 札幌ドーム 写真提供:産経新聞社

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『強いて言えば高校生くらいがピークだったのかな。いまのようにSNSが発達していれば、もっといいプレーを見せられたと思います』

~小野伸二 引退会見より

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12月3日、サッカー元日本代表で、コンサドーレ札幌のMF小野伸二がJ1最終節での“現役ラストマッチ”に先発出場。「サッカーの天才」と呼ばれ続けてきた小野も、もう44歳。J1では11年ぶりとなる先発出場だった。

最後の相手はプロデビューを飾った古巣・浦和レッズ。開始早々、何気ないワンタッチパスやロングパスなど“らしいプレー”でサポーターを魅了すると、現役ラストプレーは前半18分に披露した得意のフリーキック。ゴールにはつながらなかったものの、しっかり見せ場をつくった直後の前半22分で途中交代。ピッチを離れる際には試合中にもかかわらず、札幌、そして浦和の選手もピッチ上で一列に並んで花道をつくり、札幌ドームに詰めかけた3万人を超えるサポーターの拍手を浴びながらの万感の交代劇となった。

その試合後に行われた引退会見で、特に印象的だったのが冒頭のコメントだ。W杯には3大会連続で出場し、オランダ1部フェイエノールトに所属した2002年には日本人初の欧州タイトル(UEFAカップ)を獲得。中村俊輔をはじめ、多くのサッカー人からも「天才」と認められてきた稀代のサッカー人のピークが本当に高校生のときだったとしたら恐れ入る。

だが、振り返れば高校卒業直後、1998年の小野伸二に何度もワクワクさせられたのも事実だ。この前年に「ジョホールバルの歓喜」で初のW杯出場権を勝ち取り、いやが上にも盛り上がって迎えたワールドカップイヤーに颯爽とJリーグデビューを果たしたのが小野だった。本人が語る「高校生くらいがピーク」を「18歳」と捉えれば、あの鮮烈デビューイヤーこそ、小野伸二の魅力が最高に詰まっていた年だったのではないか。

改めてデビューイヤーを振り返れば、始まりは98年3月21日の駒場スタジアム。清水商から鳴り物入りで浦和に入団した小野は、開幕戦のジェフ市原戦で先発デビュー。高卒新人とは思えない華麗なダイレクトパスでいきなりチームの司令塔として君臨する圧巻のデビューを飾る。その試合を当時の本人はこう自己評価していた。

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『満足できたパスは2本だけ。プレッシャーは感じなかったけど、もう少し前でゴールに向かう意識を持ちたかった。もう少しチームとのコミュニケーションが必要』

~『浦和レッズ10年史』より(1998年デビュー戦直後の小野伸二の言葉)

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こんな大人びたコメントがブラフではないと証明したのはわずか4日後の3月25日、2戦目の横浜フリューゲルス戦。日本代表GK楢崎正剛との1対1を制し、プロ初ゴールを決めてみせた。

そしてこの試合を現地で目撃したのが当時の日本代表・岡田武史監督。2日後の3月27日に発表された日本代表メンバーには小野伸二の名前が記載され、4月1日の韓国戦で国際Aマッチ初出場。プロデビューからわずか10日間の流れとは思えない激動ぶりだ。

さらに2ヵ月後の6月2日、フランスW杯メンバー22人発表の際には、あの伝説のシーン「外れるのはカズ、三浦カズ」の岡田監督の言葉で日本サッカーの象徴がまさかの落選となった代わりに、18歳の小野が代表選出。まさに時代の転換点だった。

フランスW杯本番ではカズに代わって背番号11を背負い、ジャマイカ戦で途中出場。18歳272日はいまも日本代表史上最年少でのW杯出場記録だ。もちろん、ただ出るだけでなく、いきなり股抜きシュートを披露して日本だけでなく世界を驚かせ、試合後のコメントがまた「天才児」らしい堂々たるものだった。

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『ワールドカップは見ているのと変わらなかったです。11分しかプレーできなくて残念です。もう少しできればよかった』

『プレーは全部フィットしました。満足はしていないけれど、すべてを出しました』

~『サッカーマガジンWEB』2019年6月26日配信記事 より(2002年W杯ジャマイカ戦直後の小野伸二の言葉)

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W杯から帰国後も、浦和の主軸としてチームをリーグ3位に導き、新人王に選出。10月のアジア月間MVPにも選出されるなど、充実のルーキーイヤーを経験した。

まさに無敵感のあったこの小野伸二がいれば、日本サッカーはどこまでも成長できるのではないか……当時、そんな夢を見たファンは多かったはず。実際、翌99年にはFIFAワールドユースで日本を準優勝に導き、自身もベストイレブンに輝いた。

だが、7月のシドニー五輪予選での悪質タックルで左膝靭帯断裂の重傷を負い、長期離脱。それ以降、本人もなかなか納得のいくプレーができなかったのは有名な話だ。

それでも、稀代の天才は躍動し続け、W杯には2002年、2006年大会と続けて主力として出場。その後もチームを変え、国を変えながら44歳まで「サッカーの楽しさ」をプレーで証明し続けてくれたことには感謝しかない。

そんな小野伸二の天才性を端的に示したのは、サッカー解説者のセルジオ越後氏。誰よりも辛口でお馴染みの識者が絶賛した小野伸二の魅力について、最後に引用したい。

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『彼を超える人はいない。プロ選手として“魅せる”ことが一番の特長で、誰も小野の真似はできない。日本の宝だ。彼のプレーは、味方も敵も見惚れてしまうよね』

~『サッカーダイジェストWeb』2020年5月29日配信記事 より

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