#27 R ・バース(阪神)江川から7試合連続ホームラン

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#27 R ・バース(阪神)江川から7試合連続ホームラン

 

◎1986年6月26日 後楽園球場

阪神 1 0 0  0 1 2  1 1 0 = 6

巨人 0 0 0  2 3 0  0 0 0 = 5

HR(阪神)掛布4号 バース22号

(巨人)クロマティ14号 原21号

 

「エガワは逃げなかった。オレは彼のチャレンジ精神を尊敬する」

 

そう語ったのは、阪神で1985年・1986年と2年連続三冠王に輝き、「史上最高の助っ人」と呼ばれるランディ・バース。1985年は打率.350、打点134、本塁打54で、球団史上初の日本一に貢献、MVPに輝いた。翌1986年も打率.389、打点109、本塁打47と圧倒的な数字を残したバース。1986年の「打率.389」は40年経った現在もなお、NPBのシーズン最高記録である。

 

注目は1985年の「本塁打54」。王貞治が1964年に記録した55本塁打に「あと1本」に迫ったのだ。バースが54号を打った時点で、阪神の残り試合は2試合。いずれも巨人戦だった。10月24日、甲子園球場で行われた1戦目、巨人は江川卓が先発。江川はこの試合、バースに3打席真っ向勝負を挑み、1安打のみに抑えた。

 

ところが……2日後の10月26日に後楽園球場で行われた2戦目、巨人の投手陣はバースと徹底的に勝負を避けた。5打席中4打席がストレートの四球。捕手は立たせなかったが、実質的な敬遠である。もう1打席は、外角高めの球にバースが飛びつくように手を出してヒットにしたものだった。

 

阪神はこれがシーズン最終戦だったので、バースの記録更新は幻に終わった。当時、巨人の指揮官は王監督。試合後に「自分は敬遠を指示していない」と語ったが、実際に対戦したピッチャーが「もし勝負に行って、ホームランを打たれたらどうしよう」という気持ちになって、勝負を避けたのは無理もない。また阪神のリーグ優勝はすでに決まっていて、真剣勝負をする必要もなかった。バースもそのことはわかっていたようで「私は外国人だから、記録達成は無理だろう」と語っていたそうだ。

 

そんなこともあって、「ホームランを打たせなければいい話じゃないか」と真っ向勝負を挑んでくれた江川に対して、バースは最大限の敬意を払っていた。冒頭のコメントはその証である。そして翌年、バースは再び江川と「記録を懸けた勝負」をすることになる。

 

1986年6月26日、後楽園球場で行われた巨人-阪神戦。このとき絶好調だったバースは、前の試合まで6試合連続でホームランを放っていた。歴代トップは、1972年に王貞治が記録した「7試合連続」。この試合で打てば並ぶことになる。巨人の先発は江川で、彼の選択は言うまでもなく「忖度なしの真っ向勝負」である。

 

「フルスイングしてくる強打者には、渾身の高めのストレートで勝負」を信条にしていた江川。バースに対し第4打席までに2安打を許したが、ホームランは打たせなかった。バースも「まったく打てる気がしなかった」と試合後のインタビューで語ったほどだ。

 

5対5の同点で迎えた8回、2人にこの日5度目の対決が巡ってきた。記録更新のラストチャンス。バースは前の4打席と異なり、この打席はホームベースから半歩だけ離れて打席に立っていた。インコースを攻められてもホームランが打てるようにするためだ。江川もそのことに気づいていた。ならば外角に投げればホームランは出にくくなるが、そういう逃げの姿勢は自分の美学に反すると考えたのだろう。初球、内角高めにストレートを投じたのが実に江川らしい。まずは1ストライク。

 

続く2球目、江川によると初球と同じようなところへ真っ直ぐを投げるつもりだったが、少しだけコントロールが甘くなったという。バースはこれを見逃さず、バットを振り抜くと打球はライト場外へ。王と並ぶNPBタイ記録「7試合連続本塁打」は、試合を決める決勝打になった。

 

だが江川は打たれた瞬間、不思議と「悔しい」という感情は湧いてこなかったという。それよりも、最高のバッターと真剣勝負ができた喜びのほうが大きく、むしろ満足感があったそうだ。バースも、試合後に笑顔でこう語っている。「エガワは力の投球で、どんどん攻めてきた。男の勝負ができたよ」

 

<チャッピー加藤>

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