#33 中村武志(中日)代打同点満塁弾&サヨナラ弾
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◎1991年7月19日 ナゴヤ球場
巨人 2 0 2 0 0 0 4 0 0 0 =8
中日 0 0 0 0 0 0 1 7 0 1X =9
HR(巨人)原辰20号 篠塚3号
(中日)落合14号 中村12号・13号
「試合終盤、4点差を一気に追いつく代打満塁ホームラン」「サヨナラホームラン」……打てばいずれもお立ち台は間違いなしだが、なんとこの両方を同じ試合で放った選手がいる。1980年代末から2000年代初頭まで中日ドラゴンズの正捕手として活躍した中村武志である。
1991年7月19日、ナゴヤ球場で行われた中日-巨人戦。星野仙一監督率いる中日は先発・小松辰雄が3回で早々とKOされ、7回にもリリーフ陣が4点を献上。打線は巨人先発・槙原寛己の前に6回までわずか2安打と沈黙し、0-8と敗色濃厚だった。藤田元司監督率いる巨人ベンチはもう勝った気でいただろう。しかし「負け試合でも食らいついていけ!」が星野イズム。7回、中日の4番・落合博満がソロホームランを放ってから雲行きが変わる。これで1-8、焼け石に水のように思われたが、この1点が後で大きくものを言った。
8回、7点を追う中日は先頭の長谷部裕がヒットで出塁すると、1死後、立浪和義が四球で歩き、山口幸司がヒットでつないで1死満塁のチャンスを作る。さらにマーク・ライアルが2点タイムリーを放って3-8。藤田監督はたまらず、槙原に代えて木田優夫をマウンドへ送ったが、これが誤算だった。木田は落合・川又米利に連続四球を与え、押し出しで4-8。中日は4点差に迫った。
一発が出れば同点となるこの場面で、星野監督が動く。この日3打数無安打と当たっていなかった仁村徹に代えて打席に送り出したのは、前日の練習中にふくらはぎを痛めスタメンを外れていた中村だった。ベンチで試合の行方を見守っていた中村は、ジャイアンツ投手陣の急な乱調ぶりを見て、まだ4点差だが「流れがウチに来ているな」と感じていた。ケガでスタメンを外れた悔しさもあって「代打でいい仕事をしてやろう」と思っていたところに星野監督からお呼びがかかったのだから、燃えないわけがない。
藤田監督も嫌な予感がしたのか、キャッチャーを村田真一から中尾孝義に代えた。中尾は中日の元正捕手で、1988年から外野手に転向。後釜に座ったのが中村だった。その年のオフ、中尾は西本聖・加茂川重治とのトレードで巨人へ移籍。再びキャッチャーに復帰し、移籍1年目の1989年には強気のリードで、巨人のV奪回と8年ぶりの日本一に貢献。ただし1991年は故障や村田の台頭などで出場機会を減らしていた。ピンチにリリーフ捕手としての起用は、中尾も意気に感じたに違いない。しかも打者は中村だ。こちらも燃えないわけがない。
注目の中村vs中尾対決は、5球目で決着した。カウント2-2から、真ん中に甘く入った木田のストレートを中村は振り抜くと、打球は大歓声とともに左翼席上段へ。なんとなんと、代打同点満塁アーチで試合は8-8と振り出しに戻ってしまったのである。沸き上がるドラゴンズベンチ。星野監督が大喜びで中村を迎えたのは言うまでもない。
この一発だけでも十分殊勲賞ものだが、面白いもので、そのままマスクをかぶった中村に延長10回、再び打順が回って来る。ピッチャーは水野雄仁。中村は水野を得意にしていて、打席に入った時点で「水野さんのスライダーを打てそうな気がした」という。3球目、そのスライダー(フォークのすっぽ抜け説もあり)が甘く入った。中村は「待ってました!」とばかりに振り抜くと、打球は再び左翼席へ。今度は試合を決めるサヨナラホームランだ。
「盆と正月がいっぺんに来た」とはまさにこういうことを言うのだろう。打った瞬間、ガッツポーズを見せた中村。喜びのあまり一塁ベースを踏み忘れそうになったのはご愛嬌だ。1試合で代打満塁アーチとサヨナラアーチを記録したのは、前年の1990年に打った広島のロッド・アレンに次いで史上2人目の快挙だった。
一方、巨人側は「天国から地獄」だ。オールスター前に首位の中日を直接叩いて差を詰めるはずが、まさかの逆転負けで7.5ゲーム差となり、この年は優勝を逃すことになる(最終的に広島が逆転優勝)。巨人の帰宿用バスは試合後、殺気立ったジャイアンツファンに取り囲まれ動けなくなるシーンもあった。まさに「一寸先は闇」、野球は最後まで気を抜いてはいけない、ということを如実に示すゲームだった。
<チャッピー加藤>





