番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
今日は「さっぽろ雪まつり」の会場から生放送ということで、67年前、高校生のときに「第1回さっぽろ雪まつり」に参加。雪像を造った男性のグッとストーリーをご紹介します。
最初の雪まつりには、果たしてどんなドラマがあったんでしょうか?
今年で68回目を迎えた「さっぽろ雪まつり」。
雪まつりがスタートしたのは、終戦から間もない1950年のこと。
当時、札幌の街は、石炭ストーブを使っていた影響で外はいつも薄暗く、衣服も汚れるので、冬の時期、札幌市民はほとんど出歩かなかったそうです。
これではいけない、札幌を活気づけよう…そう考えた札幌市と、観光協会が思い付いたのが、大通公園に大きな雪像を何体も造り「雪まつり」を開催することでした。
ところが…地元企業にスポンサーになってくれるようお願いしても、今ひとつ反応が悪く、資金難に困り果てた実行委員会が頼ったのが、地元の中学・高校の美術教師たちでした。
「学校の美術部員たちを集めて、大通公園に雪像を造ってもらえないだろうか?」
依頼を引き受けたのは6校。その1つが北海(ほっかい)高校でした。
このとき1年生だった美術部員が、平賀暉徠(あきら)さん・83歳です。
「先生から話を聞いて『面白い! みんなで造ろう!』と盛り上がったんですが、でも何をどうやって造ったらいいのか、お手本がないから悩みましたね」
みんなで話し合った結果、美術部にデッサン用の教材として置いてあった、ミロのビーナスを雪で造ることに決定。さっそく制作に取りかかりました。当時の大通公園は今と様子が全然違い、平賀さんによると「5丁目と6丁目は雪捨て場。7丁目が会場でしたけど、真っ平らで何もありませんでした」。
平賀さんたちは雪捨て場にある雪を、そりで何往復もして運び、まずは雪像を建てるための土台造りから始めました。ベニヤ板で四角い囲いを作り、その中に雪を入れ、みんなで踏み固めていきます。これを繰り返すことで、しっかりした台座が完成。
その台座の上に雪のかたまりを造り、それを彫って雪像に仕上げていきます。
「このやり方は僕たちが最初に考えたんですが、実は今の雪像も、ほぼ同じ方法で造っているんですよ」。
当時、高校生だった自分たちが知恵を絞って考え出した方法が、67年経った今も受け継がれていることに、平賀さんは誇りを持っています。
また、当時は終戦からわずか5年後で、とにかく物がなく、雪を彫るときに使う竹べらは、竹ぼうきを切って調達。雪を濡らして固めるときもゴム手袋がなく、軍手を使っていたので、手がどうしても、かじかんでしまいます。
そんなとき、何より嬉しかったのが、先輩たちが差し入れてくれた、たき火にくべる雑把木(ざっぱぎ)でした。
札幌のために雪像を造っている美術部員を応援しよう!…そんな温かい応援も受け、1週間かけて、雪で造ったミロのビーナスは完成。
高校生・中学生たちが一所懸命に造った雪像はどれも想像以上の出来映えで、評判を聞いて観客も集まり、第1回雪まつりは大いに盛り上がりました。
「でも、これが何回も続く行事になるとは思いませんでしたねぇ」という平賀さん。
実際、最初に作られた雪まつりのポスターに「第1回」という文字は入っていませんでした。
開催期間もたった2日間でしたが、犬ぞりレースなどのイベントも行われて、会場は大いに盛り上がり、最終日には花火が打ち上げられました。
「会場でみんなの笑顔を見たときに、ああ、来年もまた、雪まつりがあるかもしれないな…と思いました」
そんな平賀さんたち美術部員の頑張りがあったからこそ、今のさっぽろ雪まつりがあるのです。
番組情報
あなたのリクエスト曲にお応えする2時間20分の生放送!
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