番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
今日は様々な工業製品の部品を作る際に欠かせない金型(かながた)を作る会社を経営。
知恵と信念で、倒産の危機を乗り切った社長のグッとストーリーです。
埼玉県入間市(いるまし)に、社員数は20数名と規模は小さいですが、確かな腕を持った職人さんたちを抱え、高い技術で、優れた製品を生み出している会社があります。
1974年に創業した「株式会社ササキ製作所」。
自動車など工業製品や、家電製品のプラスチック部品を作る際の「金型」を製造する会社です。
金型の精度によって完成品の質は決まるため、その責任は重大。会社の創業者であり、今も現場で陣頭指揮を執っているのが、佐々木久雄(ささき・ひさお)さん・72歳。
金型一筋56年、その職人人生を貫いてきたのは、「人がやらないことをやる」精神でした。
1960年、中学卒業後、故郷・仙台から16歳のときに上京した佐々木さん。
昼間は葛飾区の町工場で働き、夜は定時制の工業高校に通って、働きながら勉学に励みました。
そのため佐々木さんだけ夕方4時に仕事を上がっていましたが、それが職場でねたまれる原因に…。
辛い目にも遭いましたが、勤務先の社長はそんな佐々木さんに技術を教え、激励してくれました。
高校を卒業後も、設計の勉強をするなど、自ら進んで、深い知識を身に付けていった佐々木さん。
設計の勉強をしている金型職人は、周りに誰もいませんでしたが、佐々木さんはこう言います。
「設計を覚えたお陰で、平面の図面を見て、完成形がどうなるか、頭の中で3Dの立体図を思い浮かべる訓練ができた。これはのちのち、大きな武器になりました」
さらに技術を磨くため、最初に入った町工場を退社。新たに入った会社で実力を買われ、25歳の若さで工場長に抜擢された佐々木さん。順風満帆の職人人生でしたが、ところが…
1973年・74年と、2度にわたるオイルショックが日本経済を襲い、そのあおりを受け、佐々木さんのいた会社も解散することに…。
工場長の佐々木さんは、工員たちの受け入れ先を見付けるため奔走。自分の再就職先を探す余裕など、とてもありませんでした。
そんなとき、周囲の人たちが「会社を興したら?」と背中を押してくれて、74年、30歳で独立を決意。
「今まさに“ドン底”を味わっているんだから、これ以上、恐いものはない」とコツコツ蓄えた預金500万円を元手にして、現在のササキ製作所を創業したのです。
「創業したときから、わが社のポリシーは“できないものはない”。顧客のどんな注文にも応えることがモットーで、実際に作ってきました」
会社の規模は小さくても、高品質で、どんな金型でも作ってくれるササキ製作所は、大手の自動車メーカーや家電メーカーなどから厚い信頼を受け、長年にわたって安定した業績を残してきました。
ところが2008年、思わぬ危機が…。世界経済を襲った「リーマン・ショック」です。
金型業界もその直撃を受け、倒産する会社や、工場をたたむところも相次ぎました。
ササキ製作所も、受注が大きく減り、2009年・10年と、創業以来初めての赤字に転落。
取引先も減り、もう破産するしかない…という状況にまで追い込まれました。
「でも、従業員やその家族のことが頭に浮かび、踏みとどまりました」という佐々木さん。
そこで思い付いたのが、かつて視察した中国の工場に、一部の仕事を外注することでした。
もちろん、佐々木さんの会社と同じレベルの製品を、すぐに作ってくれと言っても無理ですが、佐々木さんは中国に飛んで、企業秘密以外の、基本的な技術を指導。信頼できる中国人の現場責任者を確保し、高品質の製品を、人件費の安い中国で生産することに成功しました。
「中国に進出したメーカーが失敗するのは、現地の指揮を日本人にやらせるからです。中国の工員は、言葉の通じる中国人の上司に任せた方が、ちゃんと働いてくれるんです」
それは現地の工員たちや、中国人経営者たちと直接向き合ったからこそ、分かったことでした。
これでコストダウンを実現したササキ製作所は経営危機を脱し、一方で新たな技術も開発。
国内の特許を2つ、中国での特許を1つ取得しました。
再び受注も増え、業績をV字回復させていきましたが、しかしこれでひと息…ではありません。
技術とともに「社員の幸福」を追求する佐々木さんの挑戦は、まだまだ続きます。
「近いうちに、どの企業にも先駆けて、週休3日制を導入しようと思っています。それには仕事の質を高め、能率を上げていかないといけません。いま導入に向けて、社員と方法を協議中ですが、必ず実現させてみせますよ!」
番組情報
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