番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは、半世紀にわたって自動車修理の仕事を続け、突然襲った病気も克服。「街の車屋さん」として、今も現役で活躍する整備士さんの、グッとストーリーです。
かつて日本一の生産量を誇った筑豊炭田のもと、炭鉱の街として栄えた福岡県・田川市。この街で、自動車整備工場「ガレージつかはら」を営んでいるのが、自動車修理ひと筋50年、塚原義晴(つかはら・よしはる)さん・68歳。
「もともと私は板金工だったんです。でも、何でもやらんとお金にならんとですから、ボディの凹みから、エンジン、塗装、電気系統まで、何でも直せるようになったとです」。
周囲を田んぼと川に囲まれた「ガレージつかはら」。広い敷地の中で、30台以上の車が修理を待っています。
「この場所なら遅くまでトンカンやっていても大丈夫なんで、田んぼの真ん中に工場を建てました。農機具も直しますよ(笑)。ウチに直せない車はなかとです」
ここ数十年間、修理を依頼したお客さんからのクレームが一切ないのも自慢です。
定時制の高校に通いながら、17歳のときに自動車整備工場に入って修業を積んだ塚原さん。炭鉱の街には、荒くれ者が多かったこともあって、塚原さんも、仕事を終えると夜な夜なバイクで街中を走り回っていました。21歳のとき、高校の同級生だった奥さんの利江(としえ)さんと結婚。いつまでもフラフラしてはいられないと仕事に打ち込むようになり、自動車修理にまつわるあらゆることを独学で研究。30歳で独立を果たします。しかし、腕は良くても、開業当初はなかなか修理の依頼が来ませんでした。近所に、大手自動車メーカーの整備工場があったからです。
「閑古鳥が鳴きよりましたけど、どんな小さな仕事でも、手を抜かずに最高の仕事をする。それしか道はないと、あらゆる修理を引き受けました」。
そんなある日、突然、大きな仕事の依頼が入ります。
「あんた、板金塗装うまいやろ? うちに来た車の塗装、引き受けてくれんかな?」
その人は、塚原さんが昔バイクを乗り回していたとき、よくメンテナンスを頼んでいた工場長でした。そんな縁もあって、塚原さんのことをずっと気に懸けてくれていたのです。どんな色の車が持ち込まれても、何種類もの塗料を調合して、まったく同じ色の塗料を作り出せる塚原さん。
「たとえば青と言っても、原色だけで30種類あるんです。おおもとの色が何かを見付けきらんことには、何度色を合わせても、合わんとですよ」
吹き付けのときも、一瞬でも気を抜くと塗りムラが出てしまうため、まさにミリ単位の真剣勝負。最高の仕事で応えたことで、腕の良さがだんだん評判になり、大口の注文も入るようになりました。
整備についても腕は一流。エンジンをかけたときの音と振動で、どこが悪いのかすぐに突き止めます。「車が、音で話し掛けてきよるんです」。直す場所が、人の手が入らない奥まった所でも「そういう時は、もう知恵比べ。道具から作って直しますね」。車体の凹みも、状態を細かく観察。慎重にハンマーを当て、もとの滑らかな曲線に戻していきます。
「鉄は生きちょるんです。これは理屈で直すんじゃなか。50年、鉄と向き合ってきた経験と勘で直すんです」
修理が済んだ車を引き渡すとき「全然別の車みたいだ!」「凹んでたの、どこでしたっけ?」と驚かれるのが、何より嬉しいという塚原さん。ガレージ内は、修理を待つ車でずっと埋まっています。
2007年、塚原さんは筑豊の板金塗装工場で作る組合の理事長に就任。業界発展のために奔走し、まさにこれからというとき、体に異変が……人間ドックで、右の肺に7センチ以上のガンが見つかり、リンパ節に転移する危険性があるため、手術はできないと宣告されたのです。
しかし、それでへこたれる塚原さんではありません。「絶対に直す!」と別の病院でセカンドオピニオンを受け、手術に踏み切りました。長時間のオペになりましたが、無事に成功。幸い、転移も再発もないまま6年目を迎え、医師から完治を告げられました。塚原さんは言います。
「人間も車も、整備が必要です。ただ走り続けるだけでは、いつか走れんようになる。こうして生かされた命を、これからも車を愛する人たちのために使っていきたいですね」
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2017年10月22日(土) より
番組情報
あなたのリクエスト曲にお応えする2時間20分の生放送!
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